当然の話ですが、衣服は着ているうちに擦れたり汚れたりしてだんだんと劣化していくものです。頑張ってお手入れをしても、下ろし立ての時のシャッキリ感はしだいに失われていきます。特にワイシャツは、首に密着して襟が擦れたり皮脂汚れがついたりしやすく、袖もデスクワークや書類整理でつく黒ずみが洗ってもなかなか落ちなくなってきます。
最終的に廃棄への道をたどることになるのは十分理解できるのですが、1つだけ違和感がぬぐえないことがありました。それは、ワイシャツは消耗品だという“考え方”です。
「ワイシャツは消耗品」への違和感…そのワケは?
「ワイシャツは消耗品だから、ボロボロになるのは仕方ないよね」。襟元のくたびれたワイシャツの汚れを眺めつつ、夫はこう言いました。その言葉を初めて聞いたときは、自分の耳を疑ったものです。
「服が消耗品? 服って何回も、場合によっては何年も着るものじゃないの?」と。
この反発する気持ちは、筆者が家計の管理担当だからかもしれません。夫のワイシャツは家計簿上では「服飾費」。それを「消耗品だ」などと言われてしまうと、ワイシャツを「消耗品費」として計上しなくてはならない気がして、歯みがきやトイレットペーパーのように、どんどん使い捨てられていくイメージが頭に浮かんできてしまうのです。
夫がワイシャツを捨てるのを見ながら、心の中でひそかに「まだ着ることができるのに! もう捨てるの?」と思ったこともありました。