バブル崩壊からコロナ禍までを投資の視点でざっくり振り返る

伝説のファンドマネジャーから学ぶ投資の思考

 皆さんもご存じの通り、1980年代の後半には、実体経済から大きく乖離した「バブル経済」が起こりました。当時、市場全体が「金余り」の状態にあった中で、土地や金融商品へ資本が大きく流入し、いき過ぎた信用膨張を招きます。結果としてバブルは崩壊し、その後、日本経済は「失われた10年」(人によっては「失われた30年」とも)と呼ばれる不況に襲われました。

 コロナ禍で先行きが不透明な中、今後の日本経済は大きく停滞のする可能性があります。そこで振り返って考えたいのがバブル崩壊後の日本経済がたどった歴史です。アナリストやファンドマネジャーとして60年近くを投資の道一筋に生きてきたフィデリティ投信の前相談役・山下𥙿士氏は、「歴史とは、多くの人々が経験してきたことのうち、後世に語り継がれるべき価値あるものの集大成」と話し、過去を知ることの重要性を強調します。

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 この記事では、山下氏の著書『伝説のファンドマネジャーが見た日本株式投資100年史』(クロスメディア・パブリッシング)の中で、をもとに、バブル崩壊後の日本経済をざっと振り返るとともに、アベノミクスによって生まれた現在進行形の問題点、そしてコロナの時代の市場について解説してもらいました。

バブル最終局面の「戦犯」

 バブル最終局面の株高を演出したメインプレーヤーは、大口の資金を株などに投資し、運用する企業向け信託商品である「特金(トッキン=特定金銭信託)」と「ファントラ(ファンドトラスト)」と呼ばれるものでした。証券・生保も片棒をかついだプレーヤーであり、最後に出てきた投信(投資信託)も彼らと同じような役割を演じることになりました。

 特金・ファントラに資金を提供したのは銀行であり、CB(転換社債型新株予約権付社債)・WB(新株引受権付社債=ワラント債)でした。局面が変わると、これらが需給悪化の要因に変わります。特金・ファントラは1989年末に47兆円の残高がありましが、その後、解約が進み、91年9月末には30兆5000億円まで落ち込みました。

 遅かれ早かれ残りの金額も解約され、市場の圧迫要因となる宿命にありました。しかし、特金・ファントラは、バランスシート(貸借対照表)では現金預金に含まれているので、一般投資家にとっては個々の企業の残高はわからないのです。

 私は当時、「特金が○○○億円残っているが、どうすればいいか」という質問を受けることがよくありました。私の答えはというと、「一時的な損失はやむを得ないが、全額解約して下さい」です。ほとんどの企業は私のアドバイス通り、すぐに解約してくれましたが、オリンパスだけは例外で、その後も金額を増やし続けました。これは、その後のオリンパスの巨額損失隠しにもつながっています。

 特金・ファントラの資金源の一つである前述の「CB」「WB」には償還期限があり、92年に5兆5000億円、93年9兆6000億円、94年5兆9000億円といった具合です。市況が良ければ借り換え債を発行できるのですが、このときは借り換えのできる状況ではありませんでした。銀行借り入れか、手許流動性の取り崩し、あるいは所有有価証券の売却などで償還資金を用意するだけに選択肢が限られていました。

 バブル相場のピークで設定された投資信託ですが、1988年に17兆円、89年には24兆円が設定されました。大半は4年後に償還を迎えます。そのときには新規設定はきわめて少額と見込まれていて、大半の組み入れ株は92~93年に売却されるため、長年の株高を支えてきた株式の持ち合いも解消の方向に向かいました。

不良債権処理のさまざまな代償

 2002年、メガバンク3社は不良債権処理を急ぐべく、それぞれ増資を行いました。東京三菱銀行(当時)が普通株3600億円、三井住友銀行が優先株300億円、みずほ銀行は優先株1兆1000億円の増資を行いました。不良債権問題は融資をした銀行と共に、融資を受けた企業ないしは個人の問題でもあります。

 筆者が会員となっていたゴルフ場は、堅実な経営を行っていましたが、バブルのピークの頃、みずほ銀行からの融資の話があったといいます。

「融資をするので、もう一つゴルフ場を作りませんか。会員権は高く売れるので、借入金はすぐに返済できますよ」と。この話にゴルフ場の経営者は乗ってしまいました。その後はバブルが弾け、会員権は売れず、借入金だけが残ってしまいました。銀行にとってはこれも不良債権です。

 いずれにしても、不良債権問題の解消は、株価・地価の下げ止まりの重要な要因の一つであったことは間違いありません。

バブル後のまとめ

 バブル崩壊によって残された不良債権の処理に一応のメドをつけたのが2003年ごろでしょう。企業段階でもバブル期に膨らんだ過剰債務、過剰人員、過剰設備を適正水準まで下げるという調整を終わらせました。日経平均も同年4月に7607円で底入れし、回復基調に向かいました。

 2007年7月まで4年3カ月の上昇相場のあと、2008年9月のリーマンショックで状況が一変し、2009年3月には7054円と安値を更新しました。

 その後、4年間の底固めを経てアベノミクスの三本の矢、黒田日銀総裁の「量的・質的金融緩和」が登場し、日銀のETF(上場信託投資)買い、外国人投資家の大量買いへとつながっていきました。

 日銀は消費者物価の前年比上昇率2%を約束しましたが、この黒田総裁の約束は、2020年8月現在、未だに達成されていません。内閣府の発表によると、潜在成長率は3.8%~4.8%で、2006年以降、2019年まで0%~0.9%で推移しています。長期的に見れば、人口減少が進むなかで、全要素生産性をどれだけ上げられるかがポイントですが、コロナ禍もあり、非常に厳しい環境が続くことは避けられないでしょう。

日銀ETFが抱える大きな問題

 少しテクニカルな話になりますが、13年4カ月の下げ相場の最初のボトムが2003年4月28日の7607円でした。そこから回復して2007年7月9日の1万8261円まで戻り、2009年3月10日、7054円でダブルボトム(二番底)をつけた形になります。

 底入れの形としては一番底だけで上昇に転ずるより、二番底をつけて上昇に転ずるほうが強いといわれています。人間でいえば、一本足で立つより、二本足で立ったほうが安定するのと同じです。

 戦前のように、ある程度の幅で上げ下げを繰り返すのか、それとも戦後の高度成長期の右肩上がり相場になるのか、あるいは別の展開が待っているのか、じっくりと見極めていきたいものです。

 日経平均が3万円の大台を越え、上昇傾向を持続するためには、それに見合う上場企業の利益成長が絶対条件になります。日本株の30%弱を保有する外国人投資家は安定株主ではないので、日本以上に有望な投資先が出てくれば、そちらに移っていくはずです。日銀ETFは、現在のペースでの投資を続ければ、あと5~7年で日本株の10%を保有することになります。そのことの可否について議論がもっと盛り上っていいのではないかと考えます。

終焉を迎えたアベノミクス相場

 現在、株式相場は波乱局面からやや持ち直したといえるでしょう。コロナ禍の影響を受けて、2020年1月半ばに2万4000円台にあった日経平均株価は、3月9日に2万円割れとなりました。その後、3月19日には1万6522円の安値をつけましたが、現在は2万2000円台を推移しています。

 もっとも私は、株式市場に10年サイクル(厳密には8~12年)があるという仮説を立てています。そして株価が天井をつけた後に不況がきます。1989年の天井の後のバブル崩壊、2000年4月12日のピークの後のITバブル崩壊、07年7月9日の高値の後のリーマンショックがその例といえるでしょう。

 実は2018年1月23日に東証株価指数は天井をつけていました。日経平均株価も遅れて同年10月2日に天井をつけています。これは13年から始まったアベノミクス相場が終焉を迎えたことを意味すると考えてよいでしょう。実は売買高も13年以降、減少傾向にありました。

 一方、日銀の景気判断は2020年1月時点で「緩やかに拡大」とか「回復している」といった表現が使われていて、株価指数とはかなりのズレがありました。そして4月9日の地域経済報告で、ようやく全国9つの地域のすべてで景気判断を引き下げたのです。

 全地域の引き下げはリーマンショック直後の2009年1月以来、11年ぶりのこと。政府・日銀の景気判断は鵜呑みにしてはいけないのです。

筆者の山下裕士氏の著書(画像をクリックするとAmazonのページにジャンプします)

いまは10年サイクルの「下げ過程」か

 2020年に入って、中国でコロナの問題が発覚した後も、株式市場は2月までは比較的平穏な動きでした。株式市場が騒ぎ出したのは3月になってからです。

 私は10年サイクルの下げ過程に入っていると考えていたので、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の騒ぎの頃から、コロナが相場下落を加速させる要因になると見ていました。気になることがあれば、世間が騒いでなくても、自分一人でも突き詰めて考える習慣が重要だと考えます。

 株価は将来の利益を反映して形成されます。当面はコロナ問題もあり、しかも世界主要国に広がっていることもあって、1年先の利益予想も難しい状況にあります。しかし、見方を変えれば、こういうときこそ絶好の投資のチャンスが近づいているのかもしれません。


■ 山下 裕士(やました・ひろし)
 フィデリティ投信 前相談役。大学卒業後、1960年に大阪屋證券(現・岩井コスモ証券)に入社。証券アナリスト業務に従事した後、1978年にエフ・エム・アール・コープ東京事務所(フィデリティ投信の前身)に転職し、資産運用・企業調査業務に従事、長くファンドマネジャーを務める。資産運用の世界では例外的なほど長期にわたる経験を持つ数少ないプロフェッショナルの一人であり、驚異的な運用成績とともにその企業調査手法や市場への視点は、プロの投資家・アナリストたちからの尊敬を集める。フィデリティ投信の相談役などを務めた後、2019年に退任。

 

山下氏の著書:
伝説のファンドマネジャーが見た日本株式投資100年史

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フィデリティ投信 前相談役。大学卒業後、1960年に大阪屋證券(現・岩井コスモ証券)に入社。証券アナリスト業務に従事した後、1978年にエフ・エム・アール・コープ東京事務所(フィデリティ投信の前身)に転職し、資産運用・企業調査業務に従事、長くファンドマネジャーを務める。
資産運用の世界では例外的なほど長期にわたる経験を持つ数少ないプロフェッショナルの一人であり、驚異的な運用成績とともにその企業調査手法や市場への視点は、プロの投資家・アナリストたちからの尊敬を集める。フィデリティ投信の相談役などを務めた後、2019年に退任。