日本の幕末ごろにようやく「国家」として統一された
イタリア国旗の配色順は、左から「緑・白・赤」で、フランス国旗の「青」を「緑」に替えたデザインです(正解画像参照)。ナポレオンの時代にフランス国旗をモデルとしてつくられたイタリア国旗は、「トリコローレ」(イタリア語で「3色」の意味)の愛称で呼ばれています。
2000年以上前の古代ローマ遺跡に代表されるように、古い歴史に彩られた国として知られるイタリア。しかし、「緑・白・赤」の国旗のもとで「国家」として統一されたのは、実はたった160年ほど前、日本でいえば幕末のころのことなのです。
5世紀に西ローマ帝国が滅びた後、イタリア半島には小さな国が乱立する状態が長く続きましたが、11~13世紀ごろ、貿易などで富を蓄えた商人たちが治めるフィレンツェやヴェネツィアなどの都市国家が力を持つようになります。こうした都市国家のもとで、14~15世紀に花開いたのが、「ルネサンス」と呼ばれる芸術運動です。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが活躍するのは、この時代です。
しかし、その後の勢力争いによって都市国家は衰え、スペインやオーストリア、フランスといった周囲の大国の支配を受けるようになります。
三色旗の起源はナポレオン!?
18世紀の末には、ナポレオン率いるフランス軍が北イタリアに侵攻してフランスの衛星国をつくり、「青・白・赤」のフランス国旗をモデルにした「緑・白・赤」の三色旗を国旗として制定しました。これが「トリコローレ」の歴史の始まりです。フランスの旗をお手本にしたため、この順番だったのですね。
ナポレオンの失脚後、トリコローレはいったん姿を消しますが、その後イタリア統一運動が盛り上がり、そのシンボルとしてトリコローレが復活します。この運動を先導したイタリア北部のサルディーニャ王国は、それまで使っていた青地の国旗を、王家の紋章が入ったトリコローレのデザインに変更しています。
そして1861年、初の統一国家「イタリア王国」が誕生し、サルディーニャ王国の紋章入りのトリコローレが、そのままイタリア王国の国旗となったのです(別画像)。
その後、第1次世界大戦を経てベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権が成立します。実は、このときムッソリーニが行った強硬な独裁政治こそが、イタリア人の「イタリア化」をいちばん進めたのではないか、ともいわれています。
第2次世界大戦に敗れた後の1946年には、ファシストに協力した王室の責任を問う国民投票が行われ、その結果、王政が廃止されて「イタリア共和国」が誕生しました。それとともに、トリコローレの中央にあった王家の紋章が取り除かれ、現在の国旗となったのです。
「イタリア人」が表れる唯一の機会とは?
都市国家の長い伝統から、「国」としての意識が薄いとされるイタリアの人々ですが、唯一の例外といわれるのが「アズーリ」の愛称で知られるサッカーのイタリア代表チームの試合です。多くのイタリア人たちが、トリコローレの旗のもとに団結し、このときばかりは「愛国精神」を激しく燃え上がらせます。
なお、「アズーリ(Azzurri)」とはイタリア語の「青」の複数形です。その名のとおりユニフォームは青で、日本代表と同じく、国旗にはない色をチーム・カラーとしています。この青色は、統一国家「イタリア王国」の前身であるサルディーニャ王国がトリコローレ以前に用いていた青地の国旗(別画像)が由来とされています。
■[監修者]苅安 望(かりやす・のぞみ)
日本旗章学協会会長。1949年、千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。総合商社に入社し東京本店、ニューヨーク支店、メルボルン支店食品部門勤務を経て、食品会社の取締役国際部長、顧問を歴任し2015年退職。2000年より旗章学協会国際連盟(FIAV)の公認団体である日本旗章学協会会長。北米旗章学協会、英国旗章学協会、オーストラリア旗章学協会、各会員。旗章学協会国際連盟にも投稿論文多数。著書は『世界の国旗と国章大図鑑 五訂版』『こども世界国旗図鑑』(平凡社)、『世界の国旗・国章歴史大図鑑』(山川出版社)など多数。
この記事の出典:
苅安望[監修]『国旗のまちがいさがし』
クロスメディア・パブリッシング