人は「歴史」を学ぶことで、時代背景や市場規模が異なっても、過去の出来事を未来の決断に生かすことができます。投資の世界でも、それは同じです。

『伝説のファンドマネジャーが見た日本株式投資100年史』(クロスメディア・パブリッシング)の著者である山下裕士氏は、「たとえば、江戸時代の相場師である本間宗久(1724〜1803年)と米沢藩再建に貢献した上杉鷹山(1751〜1822年)の2人から学べることは多い」と言います。

 この記事では、アナリストとして18年、ファンドマネジャーとして23年、アドバイザーとして17年以上、投資の道一筋に生きてきた「投資のスペシャリスト」の山下氏に、著書をもとに、「歴史」と「経験」を投資にどう生かすかについて解説してもらいました。

江戸時代の相場師・本間宗久の言葉

 本間宗久という名を聞いてもあまりピンと来ないかもしれませんが、江戸時代に活躍した出羽庄内(現在の山形県酒田市)出身の米商人です。現代の株式市場でのテクニカル分析には欠かすことのできない「ローソク足」を考案したのも宗久であると言われています。

 宗久の名言は、今日でもそのまま適用できるものが多いといえます。当時、株式相場は存在しないので、厳密に言えば米相場についての格言になりますが、その中でも私が特に参考にしている6つの言葉をここで紹介します。

(1)通い相場(往来相場)には手を出すな。相場の大きな流れ(大勢)だけを見る。投資方針を決めたら、目先の小さな価格変動に一喜一憂するな。
(2)相場の世界は孤独、頼れるのは自分の判断力と決断力、資金力だけ。他人に相場観を聞いて失敗すると友情とお金、そして相場を徹底的に勉強するチャンスを失う。
(3)わからないものには手を出すな。
(4)予想が外れて損失が発生したら、できるだけ早く損切りすること。ナンピン買い(すでに持っている株が値下がりしたときにさらに買い増しして平均単価を下げること)や、ナンピン売りはするな。
(5)みんなが強気で、自分も強気の時には売りを考える。誰もが弱気で自分も弱気の時には買いを考える。
(6)相場で失敗しないコツは失敗した原因を突き止めて、同じ失敗を二度と繰り返さないことである。

 これらの中でも特に重要と思えるものは、(1)の〈相場の大きな流れ(大勢)だけを見る、目先の小さな価格変動に一喜一憂するな〉という教えです。

 これは株式投資における個別企業の分析でも重要です。「大勢」が何年くらいを意味するかはケース・バイ・ケースですが、経営者の経営姿勢・ビジネスモデルなどから判断して、できるだけ長期の展望を描ける企業であることが望ましいと考えられます。

米沢藩藩主・上杉鷹山(ようざん)の教え

 もう一人紹介したいのが、旧米沢藩の藩主として有名な上杉鷹山(上杉治憲/別画像参照)の教えです。

上杉鷹山の肖像画

 鷹山は「天明の大飢饉」の時代に藩財政を立て直し、殖産振興をはかった名君です。藩の財政運営、あるいは人生訓としての教えですが、熟読するほどに企業経営、企業分析、相場観測に通ずる名言が多く含まれています。

・働き 一両
・考え 五両
・知恵借り 十両
・コツ借り 五十両
・ひらめき 百両
・人知り 三百両
・歴史に学ぶ 五百両
・見切り 千両
・無欲 万両

 中でも「見切り千両」を熟知していれば、1997年頃の金融機関の不良債権処理、山一證券の倒産など、もう少し傷の浅いうちに処理できたのではないだろうかと思います。

 投資顧問会社の資産運用においても、数多くの投資対象の中には、成功例の半面、失敗作が出ることは避けられない。この場合、早い見切りで傷を浅くし、有望銘柄の投資に振り向けることはとても重要です。また、それ以上に「無欲であること」が大切だということです。

参考になるのは「曲がり屋さん」

 相場格言はまだまだたくさんありますが、最後に私が常々、頭に入れている格言をもう一つだけ紹介します。

「当たり屋に付くより曲がり屋に向かえ」

「当たり屋」というのは、読んで字の如く投資で「当たり続ける人」のことです。「当たっている人」はいつの世にもいますが、何カ月も何年も当たり続けている人とは会った記憶がありません。

 ほとんどの人は「当たったり、曲がったり」で、この人たちの考えを聞いても、今一つ参考にならないことが多いでしょう。参考になるのは「曲がり屋さん」です。曲がり屋とは、当たり屋と違って「外し続ける人」のことを示します。

 私の最初の上司である調査部長は典型的な曲がり屋でした。しかも相場の短期波動までいちいち相場観を述べた上で理路整然と間違えていました。時にはご自身で間違っていることに気がつくのですが、「相場が間違えている」といって反省しない。だから曲がり続けてくれる。私にとってはありがたい存在でした。

 皆さんの周りにも「曲がり屋さん」はいませんか?もしいるのであればそれは、きっとチャンスになります。

 その後、私自身も職場が変わりましたが、別の会社に移っても、「曲がり屋さん」は意外と見つかります。身近に「当たったり、曲がったり」という人しかいない時、あるいは「あきらめて相場観を言わなくなった人」しかいない時は、外部の著名なストラテジストの相場観に耳を傾けてみるといいでしょう。立派なことを言っているものの、いつも間違えている方が必ずいます。

 もちろん、私たち自身の相場観を持つことが重要ですが、大事な局面では自分と同意見の人を探すより、反対意見を持つ「曲がり屋さん」を見つけることで、少なくとも私は自信をより深めています。

相場を研究した上で経済現象を読み解く

 私は戦後の景気動向指数の山・谷と日経平均のピーク・ボトムの関係を細かく調べてみたことがあります。

 景気の山と谷はあわせて30回あって、このうち株価が景気に先行したのが26回、同時が2回、遅行が2回で、先行した24回の平均期は9.7カ月、同時および遅行を含めた30回の平均は7.49カ月でした。株価が景気の先行指標であった確率は86.7%で、先行した期間はおよそ7〜10カ月とまとめられます。

 私が証券界に入った1960年頃でも、「株価には先見性がある」ということはすでに戦前からいわれていたと聞きました。そして、戦後のわずかな経験でも、それは証明されていたのです。

 そこで私は「相場を当てるには、経済の勉強よりも相場の研究をしたほうがよい」と思い、ケイ線(株価チャート)とかテクニカル分析にかなりのめり込みました。もちろん、個別企業の分析および会社訪問が最優先でしたが、社長に会って話を聞くことは、銘柄選別に重要であることはもとより、私自身の人生におおいに役に立ったというのは間違いありません。

 ケイ線やテクニカル分析にのめり込んでいた私を見て、調査部担当の専務取締役から次のような忠告がありました。「企業経営者に会って面談するなら、しっかりと経済の話ができないようでは恥をかくぞ」。言われてみれば至極当然の忠告でした。私は大学のゼミで、景気循環論を得意としていた教授に学びましたが、忘れかけていたそれらの知識をベースに、株式相場の背景となる経済現象にも関心を持つことを意識したのです。

筆者の山下裕士氏の著書(画像をクリックするとAmazonのページにジャンプします)

「テクニカル分析」の生かし方

 テクニカル分析とは、過去の天井、底値についてケイ線の型、出来高の推移、市場をリードするセクター、銘柄などをいくつかの類似したパターンに分類し、相場の予測に役立てようとするものです。

 経済の成長パターン、循環パターン、相場の天、底、ともに全く同じ現象の繰り返しはありません。しかし、部分的には共通した現象の繰り返しはあります。その共通した部分をいくつかの類型にして整理し、相場の予測に役立てることを目的としています。

 そして、景気循環や相場波動の「過去と現在の相違点」についての研究も重要です。経済情勢、国内の政治、社会情勢、経済活動、金融、為替などに目配せして、現在起こっている経済情勢、相場動向など過去との違いを把握し、前述の予測に修正を加えていきます。

 何より重要なのは「身をもって体験し、その体験を次に生かしていくこと」です。

 私自身のことでいえば、証券界に足を踏み入れた1960年は、岩戸景気の最中にして、時の池田勇人内閣が所得倍増計画を打ち出した時代になります。約1年4カ月で日経平均は50%上昇、1961年7月にピークを打ってからは4年間で44%の値下がりで、5年間でブルマーケット(上昇相場・強気相場)とベアマーケット(下落相場・弱気相場)の両方を体験することができました。当時はコンプライアンスという言葉もなく、自己勘定での投資、信用取引での売りも経験しました。こうしたさまざまな経験が糧となり、長くファンドマネジャーを務めることができたのだと考えています。


■ 山下 裕士(やました・ひろし)
 フィデリティ投信 前相談役。大学卒業後、1960年に大阪屋證券(現・岩井コスモ証券)に入社。証券アナリスト業務に従事した後、1978年にエフ・エム・アール・コープ東京事務所(フィデリティ投信の前身)に転職し、資産運用・企業調査業務に従事、長くファンドマネジャーを務める。資産運用の世界では例外的なほど長期にわたる経験を持つ数少ないプロフェッショナルの一人であり、驚異的な運用成績とともにその企業調査手法や市場への視点は、プロの投資家・アナリストたちからの尊敬を集める。フィデリティ投信の相談役などを務めた後、2019年に退任。

 

山下氏の著書:
伝説のファンドマネジャーが見た日本株式投資100年史