【正解の画像】青と赤の位置が逆。ちなみに国旗の縦横比は1:2

国名の由来はスペイン王族の名前から

 フィリピン国旗の白は「平等」、青は「平和と正義」、赤は「勇気」を表します。ふだんは「平和と正義」を表す青を上にして掲揚しますが(別画像参照)、フィリピンが「戦争状態」のときは、記事トップの画像のように天地を逆に、つまり、「勇気」を強調するために、赤を上にして国旗を掲揚することが決められているのです。

 フィリピンは16世紀からスペインの植民地となり、その後はアメリカの支配を受けました。国名の「フィリピン」は16世紀、当時のスペイン皇太子フェリペ(のちの国王フェリペ2世)にちなんで名づけられました。

 その後、フィリピンは実に約300年にもおよぶスペインの支配を受けていましたが、19世紀後半、遠く離れた中南米の植民地でスペインからの独立運動が起こると、フィリピンでも多くの人々が独立を求めて立ち上がりました。

さまざまな要素が盛り込まれた旗

 現在のフィリピン国旗の原型となる旗は、独立運動の先頭に立ち、のちに「フィリピン共和国」(第1共和国、1899~1901年)の初代大統領となったエミリオ・アギナルドが考えたものです。デザインのもとになったのは、アギナルドが所属する秘密結社「カティプナン」の旗でした。カティプナンは、スペインからの独立をめざして1892年にフィリピンで結成されました。

秘密結社カティプナンの「顔のある太陽」の旗

 カティプナンの旗にはいくつかの種類がありますが、スペインからの独立を果たしたアルゼンチンなど南米の国々の旗に描かれた「顔のある太陽」をはじめ、さまざまなシンボルがカティプナンの旗を通して初代のフィリピン国旗に盛り込まれました。

 また、「赤・白・青」の配色はアメリカ合衆国の星条旗から、そして、旗ざお側(左側)の白い三角形や星は、フィリピンと同じくスペインからの独立をめざしたキューバの独立運動旗(のちのキューバ国旗)からの影響と考えられています。フィリピン国旗には、世界的な視点に立たった独立の理想がいっぱい込められていたのです。

 なお、黄色い3つの五角星は、7500以上の島々からなるフィリピンの中でも主な3島であるルソン島・ミンダナオ島・ビサヤ諸島を表し、8本の光線を放つ黄色い太陽は、1898年に初めてスペインに反乱を起こした8つの州を表しています。

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独立したつもりが、「支配国」が変わっただけ!?

 1898年、米西戦争(アメリカ・スペイン戦争)が起こります。太平洋への進出を狙うアメリカは、フィリピンのスペインからの独立を条件にアギナルドに協力を求め、アギナルドは亡命先の香港から帰国して独立運動を再開し、独立宣言を行います。

 しかし、米西戦争に勝利したアメリカは、結局、2000万ドルでスペインからフィリピンを譲り受け、フィリピンの独立を認めませんでした。このため、アメリカとフィリピンの間に米比戦争が起きますが、1901年にアギナルドが逮捕され、フィリピンは完全にアメリカの植民地となってしまいます。1907~19年にはフィリピン国旗の掲揚が禁止され、アメリカ国旗である星条旗がフィリピンにおける公式な旗とされました。

 フィリピンが正式に「フィリピン共和国」としてアメリカから独立するのは、日本による占領を経た第2次世界大戦後、1946年のことです。しかし、その後もフィリピンは引き続き経済的・軍事的にアメリカの強い影響の下に置かれました。かつてフィリピンの「独立記念日」はアメリカから独立した7月4日でしたが、1961年には、スペインからの独立を宣言した6月12日に変更されています。

 2009年には、スペインからの独立のために戦ったイスラム教徒への敬意から、太陽光線を1本増やして9本にすることが国会で決められました。国内のイスラム勢力との融和策の一つとされますが、この国旗の改定は、いまのところ実現には至っていません。

 

この記事の出典元書籍:
苅安望[監修]『国旗のまちがいさがし

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