「キムタク」とは誰が使い出した呼称なのか、定かではありません。ファンかもしれないし、ファンではない人かもしれません。確実なのは、木村拓哉ファンは彼を「キムタク」とは呼ばないということです。

現在ではさほどでもありませんが、かつて木村は「キムタク」と呼ばれることを嫌がっていました。それは「キムタク」という呼び名がひとり歩きしてしまう気がする、という理由からでした。

はたして、確かに「キムタク」は「木村拓哉」から乖離してひとり歩きしてしまいます。多くの人が抱いている「キムタク」像は、木村拓哉の実像とはおそらく異なっています。というのも、木村拓哉の「素」の部分は見えることが少ないのです。

SMAPの一員だった頃から、木村のソロ活動はドラマ、映画、CMなどが主で、レギュラー出演するバラエティ番組はありませんでした。歌番組のトークなどを除いては、木村の「素」の部分が見える場がほとんどなかったのです。

つまり、一般に「キムタク」として捉えられている像は、捉えている人が持っている「イメージ像」であって、実際の木村拓哉とは異なる可能性が大いにあるのです。そのイメージは、木村拓哉が多く露出する場所であるドラマから得られたものである部分が大きいと考えられます。

また、木村が演じるドラマの役柄も、自己主張が強く「無敵」と言えるほど能力値が高くて「カッコイイ」という、似たタイプの青年ばかりが一時期続きました。それはそのような男性が視聴者から望まれていたからでもあるのですが、それが「キムタク」のイメージを固定させる一因ともなっています。

一度固定されたイメージは目をくもらせます。「キムタクは何を演じてもキムタク」というのは、視聴者が自らの目にかぶせたフィルターであると言えましょう。先に例として述べた『安堂ロイド』の印象的なシーンも、「所詮キムタク」にしか見えなかった視聴者の目はこのフィルターでふさがれていたのではないでしょうか。

批判しながらやっぱり見ている視聴者

「キムタクは何を演じてもキムタク」という色がついた眼鏡を通して木村拓哉の演技を見ている人たちも、結局のところ彼が出演しているドラマなり映画なりを見ています。見たからこそ「キムタクは何を演じてもキムタク」という批判を述べるのです。見もしないで言っているのであればそれは批判ですらなく、ただの悪口です。

そのようなことを口にしながらも見ているということは、その人たちは少なからず木村拓哉の演技に期待しているということでもありましょう。あるいは『水戸黄門』の印籠のように、マンネリズムに文句を言いながらもそれを見たいと期待している、という人もいるのかもしれません。

2015年放送の『アイムホーム』以降、木村が演じる役柄も芝居の方向性も、舵を切る方向が変わってきています。「カッコイイ」役が続いた木村でしたが、『アイムホーム』や『BG~身辺警護人~』などでは「かっこ悪い」面も見せる役をこなすようになりました。

演じる側が変わりつつある現在、視聴者も目を覆っているフィルターを外し、見る姿勢を変化させるべきときが来ているのです。

まとめ

批判や文句がありながら高視聴率を記録し続けた「キムタクドラマ」。木村拓哉という俳優がさまざまな役柄とその職業を演じてきたドラマを見て「救われた」という人も、実は少なくありません。

ドラマの中で「キムタク」は、就いた仕事を立派にこなし周りの人々を大切にすることに邁進していました。それを見ながら美容師やパイロットなどの職業を選び、あるいは既に就いている仕事に励み、いっぱしの職業人になったという人もいるのでしょう。

今季放送の『グランメゾン東京』で木村は、フランスでかつて二ツ星を得たシェフでありながらある事件をきっかけに堕落し、しかし再び料理人として立とうとする尾花夏樹という人物を演じます。一度挫折してしまった人物です。

『グランメゾン東京』は大人が夢を追う青春群像劇。三つ星シェフを目指す女性と、一度は挫折しながら彼女に三つ星を取らせようと再び立ち上がる料理人・尾花が出会うことから物語は始まりました。尾花の今後と見守るとともに、今度はキムタクではなく、木村拓哉の芝居を確認してはいかがでしょうか。

衛澤 創