筆者の子どもは男の子で、顔も夫にそっくり。自分が産んだのに、性別も見た目も自分とかけ離れている我が子を見ていると、なんとなく自分の分身感がありません。血はつながっているものの、良い意味で他人のように思えているところがあります。

そんな「私に全然似てないなあ」と常日頃思っている息子と先日、夫の会社の人たちが集まるバーベキューに参加しました。保育園に通っているおかげもあって、初めて会う大人たちにも人見知りを一切せず、色々な人に抱っこされても愛想を振りまいていた息子。会う人会う人に「お利口さんだね~」「ニコニコしていて偉いね~」と褒められていました。

しかし、家に帰った途端に待っていたのはひどいギャン泣き! 夜中も新生児期ぶりかと思うほど激しい夜泣きが続き、次の日の朝も機嫌が悪く、熱はなかったものの結局保育園を休ませる事態になりました。この息子の様子を見て、筆者は「外面を良くしようとしてしまうところ、自分にそっくりだ…」とビックリ。

筆者も幼い頃、親の友達や親せきの前など外の世界では常にニコニコと「良い子」でいようとしていた節があったからです。そして子どもながらにそういう大人たちに気遣いをすることで、勝手に心苦しさや窮屈さを感じていました。

なんとなく空気を読んで自ら外面の良い顔をすることで、抑圧や苦しさを感じることは今でもあります。「こうした方がいいのかな」と多方面に気を遣うことで、自分で自分の首を絞めてしまうような性質を幼い頃から持っていたのです。

夫にこのことを伝えると、「むしろ僕は昔からやんちゃばっかりしてたから、良い子でいようという気質なんてない。息子のそういう部分は、君に似てるのかもね」という答え。勝手に外面良くして苦しんでいた自分の幼い頃の記憶が思い出され、「ここは自分自身でも嫌いなところだから息子に似てほしくない」と強く思った出来事でした。

子育てで自分を再発見することも楽しいと思えるように

子どもがまだ小さい筆者は、こうした子育てを通して自分自身の嫌いな部分が露呈する出来事に戸惑いや嫌悪感を覚えることが少なくありません。しかし、子どもを通して自分を知るという体験は子育てに一生懸命だからこそ得られるものだとも感じます。イライラする新しい自分を知って絶望はしたけれども、同時に子育てに真剣な自分を褒めてあげなければと思いました。

また、今後は子どもが思春期に入ったり受験勉強や部活に一生懸命になる時期を迎えたりすると、また別の自分と似たところやこれまで知らなかった新しい自分を見つけ、子育てがさらに楽しいと思えたら素敵だなと未来に希望も感じています。子どもを育てているはずなのに、むしろ自分自身が成長させてもらえるのが子育ての大きな魅力なのかもしれませんね。

富士 みやこ