子どもが中年になったとしても、親からすればいつまでも「子ども」であることは間違いありません。

しかし、親の中には「子どものためだ」といって、何から何まで世話を焼いてしまうケースも少なくありません。

年金を受給できる年齢は一般的に65歳とされていますが、少子高齢化などの影響で年金の財源を確保することが難しくなり、支給開始年齢が引き上げられるとの見方もあります。

先行きが不透明な現代社会、これからを生き抜いていかなければならない子どもたちには、一体どのような力が必要なのでしょうか?

親の過保護の先にあるものとは?

私の実家は明治の頃から商売を行っていたため、地元でもそこそこ有名な地主として知られています。

自分の代で財を築いたのは私の曽祖父で、父からすると祖父にあたります。

父は待望の長男ということもあり、曽祖父から溺愛されて育ったのだそうです。とにかく全て父のいうことが通る状況だったらしく、父はわがまま放題で我慢を覚えることも少なかったと祖母(父の母)から聞いています。

父は何事も飽きたり嫌になったら逃げ出したりしていたため、ほとんどのことが中途半端。勉強にも興味を示さず、高校はバイク事故で入院したことをきっかけに中退。その後は料理人として独立しましたが、とても経営者と名乗れるレベルではありませんでした。

結局、度重なる起業に次々と失敗し、曽祖父や祖父が築いてきた財をほとんど借金返済に使ってしまうという有様です。

こうした家庭で育った私が実感していることは、親が子どものためだと思って過保護に育てることで、子どもは人生の荒波を突破していく力が付きにくいということ。

人間はピンチから学ぶことが非常に多く、どうやってこの荒波を越えていこうかと考えたときに成長していくものだと感じています。

父の尻拭いを何十年にも渡ってし続けている祖母は、85歳を過ぎた今でも父に厳しく接することはありません。

子どもに「考える力」を付けさせるには?