不透明な社会をしっかりと自分の足で歩くためには、自分がこれからどうしたらいいのか?何をすべきなのか?をしっかりと考えることができ、かつ行動に移すことができる力。
考える力を付けさせるためには、日常生活の中で子どもが「自分で考えるチャンス」を与えることが大切なのではないでしょうか。
例えば、朝ごはんの内容から来ていく服・学校の宿題をするのかしないのか・兄弟喧嘩をどのように和解するのか…。
日常生活の中で、私たち大人はついつい子どもに「喧嘩はやめなさい」「宿題済んだの?」「早く寝なさい」などといった指示を出してしまいがちです。
そうした指示を出される子どもも出す大人も、決していい気持ちはしませんよね。
宿題を忘れていって先生に怒られたり、恥ずかしい思いをしたりする。または、あえて子どもに失敗をさせることで、這い上がる力を養わせていく。
子どもが自ら考える力を「引き出す声かけ」に加えて、柔軟性のある子ども時代から世間の荒波を見せていくことも大切だと思えてなりません。
「かわいい子には旅をさせよ」の本当の意味
私の父は世間の荒波どころか、ほとんど波風のこない湖で手取り足とりお世話されて育った人間です。
そんな父ももうすぐ還暦。
今さら波がキツい大海原に放り投げることはありませんが、過保護の親に育てられた子どもがどのような考え方になるのか…身をもって体験することができました。
「かわいい子には旅をさせよ」ということわざのように、自分の力で自立して生きていく子どもを育てたいのであれば、大人が一歩引いて子どもの自主性を引き出す接し方をしてみましょう。
喧嘩はあえて仲裁せず、思いっきりやらせてみる。いじわるや仲間はずれも、成長の糧になる貴重な経験です。
もちろん、いき過ぎたいじめなどにはしっかりと対応すべきですが、日常の中の些細ないざこざであれば、大人は黙って子どものすることを見守ってみませんか?
すると子ども自らが「どうしたらいいのか?」を考え始めるようになっていくでしょう。
自分がやったことの責任は自分で!
事業失敗や借金など、父の失敗をことごとくサポートしていた祖母や母。
もはや父は起業者としての責任を放棄したといっても過言ではなく、その姿に幼いながら衝撃を受けた記憶があります。
3〜4歳くらいになれば、多少の善悪の区別が付くようになる年齢です。できればそのくらいから、子どもが犯した過ちは子ども自身に償わせるようにしてみましょう。
「自分がこぼした牛乳は自分で拭く」「誰かを叩いてしまったら親と一緒に謝りに行く」など、たとえ小さな行いでも、だんだん「自分の尻は自分で拭く」ということが身に付いていくはず。
子どもに不憫な思いをさせたくないという親心はとても素敵ですが、子どもの自立心を養うためには、あえて突き放すことも必要なのではないでしょうか。
広瀬 あゆみ