「もうおねがい ゆるして」
2018年3月に東京都目黒区で、当時5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが両親からの虐待によって死亡した事件は、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。
両親から精神的・身体的な虐待を受け続けていた結愛ちゃんは、遊ぶことを禁じられひたすらひらがななどの勉強を虐げられていました。
厚生労働省の調べによると、2018年度の児童虐待件数は、児童相談所が把握しているだけで15万9,850件(速報値)です。
2013年度は7万3,802件であるのに対し、わずか5年の間で倍以上の虐待数になっています。
(なお、増加原因の1つに全体の55.3%を占める「心理的虐待」の増加が挙げられる。これは「配偶者間のDVを子どもが目撃したこと」を「心理的虐待」とみなしており、警察からの通告が増加していることが影響している。「身体的虐待」は4万256件と全体の25.2%となっているが、こちらも増加傾向にある)
私たちはどこかで「児童虐待は自分には関係のない話」と一線を置いてしまいがちですが、実際の数字を見てみると、とても他人事には思えないのではないでしょうか?
「躾」と「虐待」の境界線とは?
昭和生まれの私としては、多少の体罰は当たり前の環境で育ちました。
そう思えたのは、叩かれるという負の行動の裏には、ほとんどの場合「叩いた人の愛」が込められていたからです。
躾というのは親や大人の指示を聞くことができる子どもを育てるのではなく、社会に出てから善悪のわかる、人の気持ちがわかる立派な大人に育てていくためのプロセス。
私はここに、躾と虐待の境界線が存在していると思えてなりません。
子どもに生意気をいわれたり、時には理不尽な暴行を受けたりすることもあるでしょう。
大人も人間ですので、そういった子どもの態度についついイラっとして怒鳴り声をあげたりゲンコツやお尻を「パチン」としたりしてしまうことはあるのではないでしょうか。
手をあげたからといって全て虐待になるとは思いませんが、手をあげる瞬間に「イライラを爆発させる」状態であれば、虐待につながっていく恐れが非常に高いでしょう。