「娘は少し乳児湿疹がひどい方でした。
ほっぺが真っ赤になるほどの湿疹は、母親の私から見ても痛々しいものでした。でも、先生からも乳児湿疹だから心配することはないと言われ、清潔にすること心掛けながら普通に過ごしていました。
娘をベビーカーに乗せてお散歩に行ったある日、すれ違ったおばあちゃんに『あら~、可哀想に。女の子なのにねぇ~』って言われたんです。そう言われたって一過性のものだし……と分かってはいるんですが、娘の容姿を可哀想と言われたことは、さすがに凹みました」
子どもの病気やケガは、ママがもっとも気にするところ。できるものなら私が変わってあげたいと思うママの心をさらにえぐるのが「可哀想」という言葉です。
可哀想と言われても変わってあげることも、今すぐどうにかすることができる訳でもありません。
さらには、可哀想と言われたことで、その病気やケガを自分のせいだと自己嫌悪に陥るママもいます。
凹む言葉にストレスをためないためにも
「可哀想」という言葉は、結局は他人の無責任な感想でしかありません。そのようなセリフでしか表現できないのは、ボキャブラリーに乏しく、言われた方がどんな気持ちになるかという想像力が及ばない人なのでしょう。ある意味”違う世界の人”くらいの認識でいても良いのかもしれません。
ママが気にするのは、目の前にいる我が子です。表面から、子どもに向き合ってみてください。そして、笑いかけてみてください。可哀想な顔をしていますか?悲しそうに泣いていますか?今あなたの目の前にいるその子の笑顔が、答えなのではないでしょうか。
LIMO編集部