こちらの二人はというと、車の運転をしている時代から普段の生活では自転車や徒歩で買い物などの用を足していて、車を使うのは親戚や子供達家族の家に行くなど遠出をする時に限られていました。お店に駐車するスペースがなかったり、道が狭いといった理由もありますが、車を使わなくても歩いてお店や病院に行ける環境というのが一番の理由です。
結婚当初、主人の実家に泊りに行くと「あなたの実家のほうは、車でどこへでも買い物に行けるから便利でしょう」と義母から言われたことが何度かありました。
東京にいるとどこに行くにも、バスに乗ったり電車に乗ったりで、歩いての移動距離が馬鹿になりません。そのため、当時の筆者は、地方は車ひとつで気軽にどこにでも行けるから東京より便利だと感じていましたし、自転車や歩きで買い物に行く義理の両親の姿を見ていると「意外と都会暮らしは大変」という印象しかありませんでした。
しかし、現在では両者の状況がガラリと変わってしまったのです。
ちょっと動いただけでもグッタリする両親と元気な義理の両親
65歳を過ぎた頃から、筆者の両親は普段の買い出しや掃除など、日常的なことをするだけでグッタリすることが増えていきました。母もここ数年は疲れが取れにくくなっているのか、普通の家事でも「こんなことで横になるなんて・・・」と嘆いていました。
定年退職をした父親は行動範囲が急激に狭まり、無趣味も相まって外出しないで引きこもる日々が増えています。70歳を超えてから老化スピードが速まり、今では腰も曲がっています。帰省のたびに急速に年老いていく姿を目にすると、寂しさを通り越して怖さすら感じてしまいます。
10歳年上の義理の両親はというと、80歳を過ぎた現在も、足腰は丈夫で元気に近所のスーパーまで歩いて買い物に出かけています。「さすがに自転車は危ないから乗らないようにしたの」と笑いながら話す義母の姿は、約10歳年下の筆者の母よりも元気です。いつからこの差が出始めたのか考えていくと、やはり長年の積み重ねが影響していると感じるようになりました。
両親の衰えを目の当たりにし、中高年の運動習慣は大切だと痛感
二組の夫婦を見比べていくと、中年以降の運動量の違いが老年期の健康に影響していると感じています。義理の両親は、水泳やゴルフなどのスポーツをやっているわけではありませんが、普段から歩くことが習慣となっていました。筆者の主人によれば、昔から買い物に出かけた時も、「天気がいいからちょっと足を伸ばしてみようか」と、花がきれいな公園に立ち寄ったりしていたそうです。対して、筆者の両親は車での移動に終始し、50代からは完全に自転車に乗ることも散歩もしなくなりました。
長年のちょっとした運動の差で体の衰え方が変わると、両者を見ていて痛感します。70歳を過ぎた老人が、一度衰えた筋肉を鍛えようというのは酷なことです。人生100年と言われ始めている中、目先の楽を選ぶことのないよう、日頃から散歩や自転車を使って適度の運動量を保ち、健康への意識を高めていくことは大切だと思います。
中山 まち子