都会に住んでいると、夜空を見上げても見られる星は限られていたり、意識して緑の多い場所に行かないとなかなか自然を感じる機会は少ないものです。一方、田舎暮らしの場合は、大自然に囲まれて健康的な生活を送れそうですよね。

しかし、地方に住んでいるからといって誰もが健康的な人生を送れるとは限りません。むしろ、老化のスピードを上げてしまう恐れもあるのです。今回は、筆者の両親と義理の両親を比較し、中高年世代の運動の大切さについてお伝えしたいと思います。

約10歳年下の筆者の両親を「若い」と言っていた義理の両親

筆者の両親と義理の両親は、約10歳離れています。正確にいえば10歳差ではありませんが、ここでは分かりやすく10歳の違いがあるとしておきます。簡単にいえば、戦中生まれと戦後生まれという大きな区分がある程度で、食事や生活習慣が大きく異なっていることはありません。強いて言えば、パソコンや携帯電話などの新しいことに対する興味関心の有無がある程度です。

とくに義母は、ネットショッピングが好きでパソコン操作ができる母を「若いわね~」と言って感心していました。ちなみに、義理の両親の家にはパソコンはもちろんのこと、インターネット環境も整っていません。近代的な道具を使っている母のことを「自分たちより若い人」と、義理の両親は思っていたのです。

結婚当初、両者の年の差をパソコンなどの道具を介して感じていた筆者ですが、実の両親の変化を感じるようになったのは65歳を過ぎてからのこと。今振り返ってみると、40代以降の積み重ねが影響していると感じています。

車に頼り、自転車にも乗らず歩く回数も激減した両親

筆者の実家は、地方の典型的な郊外型の住宅地にあります。全国の郊外にある住宅地同様、幹線道路まで行けば生活する上で欠かせないお店がずらりと並んでいます。車があればスーパーでもホームセンターにも行けるので、買い物や日常生活に苦労はありません。

そういう住環境ということもあり、父と母は40代半ば以降、完全に自転車に乗らなくなりました。自転車で気軽に出かける距離にスーパーはあるものの、車で用を済ませるほうが楽だと考えていたのでしょう。車社会に浸って年を重ねていくと、「自転車に乗るのも面倒」と思うようになるようです。

また家の周辺には散歩するような公園やスポットもありません。それ以前に、自然に囲まれた幼少期で過ごしたせいか、わざわざ自然を求めて出かける考えがなかったのです。楽さを求め、両親の歩く時間も回数も、年齢が進むにつれて激減していきました。

遠出の時以外は自転車か徒歩で出かける義理の両親

一方、義理の両親は、都心から少し離れてはいるものの東京で二人暮らしをしています。車を所有していましたが、続発する高齢者ドライバーの事件を受けて数年前に免許を返納しました。