それは筆者の子より2歳年上の子どもを持つ友人と習い事の話をしていた時のこと。筆者は子どもにはのびのび育ってほしいため、今のところ習い事をやらせる予定はありません。しかしその友人は熱心で、0歳の時にはベビースイミングを、1歳を過ぎてからは英語と体操、さらにピアノなどさまざまな習い事をさせていました。
自分の子育てとはあまりに違うために「えー、予定を詰め込みすぎてかわいそうじゃない? そんなに習い事させるよりも、遊ぶ時間を大切にしたほうがいいと思うよ」と言ったところ、友人は「何をどうさせようが考えは人それぞれなんだから、別にいいじゃん」と一蹴。
その時、筆者は無意識のうちに友人の考えを否定していた自分に気付きました。言い換えれば、自分の意見に対して「そうだよね」と肯定されることを待ってしまっていたのでした。
つまり筆者は、同じ考えの人が集まる輪の中で、共感や肯定ばかりを求めるようになっていたのです。もしかしたら、これが行き過ぎると自分の子育て論や価値観だけが正しいという感覚を持ったまま突き進んでしまうかもしれない。そして、「結婚したら子どもを持つべき」「女性に生まれたのだから子どもを産む幸せを」などといった他人への押し付けは、きっとこうした“共感や肯定への行き過ぎた渇望”が引き起こしているのではないかと感じました。
「共感や肯定」と「多様性の受け入れ」のバランスは子どもの教育にもいいはず
各家庭における子育ての考え方だけでなく、子どもの発育過程や夫婦の在り方さえそれぞれであるはずなのに、共感や肯定を求めすぎると自分とは違う考えや多様性を拒否してしまう。筆者はつくづく、子育てにはこのバランスをいかに取っていくかが非常に重要であると日々感じています。
そして親自身がそうしたバランス感覚を持っていることは、子どもにとってもいい影響を及ぼすはず。人に寄り添うことと他人との違いを受け入れること、そのどちらの大切さも子どもに教えることができるようになるからです。
子育てに悩んだ時、「自分は今、この2つのバランスは取れているのか」と我が身を振り返ってみると、意外と答えが出る時もあるのではないでしょうか。
秋山 悠紀