そんな中、高橋さんが着ていた「よめ」Tシャツ。深読みかもしれませんが、筆者はきっとそこには「嫁」という言葉の持つ上記のような意味合いが、結婚への憧れと結びついているのだと感じます。
「愛され女子」という言葉が婚活に関するコンテンツや女性誌で散見されるように、恋愛や結婚は「いかに男性から選ばれるか」という視点で語られることが多くあります。自分が主体的に選んだのではなく、相手に選ばれたという自負。または、誰かのものになるという安心感。
それが結婚における幸せだという考え方が、「嫁」という呼称から透けて見えるように感じます。そしてこれは、少子化によってあらゆるものを自由に選べてきたからこそむしろ貴重な、「選ばれる」ことを渇望する今の若い世代特有の感覚なのかもしれません。
呼び方は人の心理を表している?
また、昨今SNSで話題になっている「#嫁グラフィー」。既婚者男性が自身の妻の写真をSNSで投稿する行為です。なぜ「#妻グラフィー」ではなく「#嫁グラフィー」なのか。
その深層には妻への深い愛情だけでなく、「俺が選んだ」という妻に対する所有欲や、妻を承認欲求のアイテムの一つと捉える心理があるように感じてしまいます。そして写真に写る当事者の妻も、「嫁グラフィー」という呼称に対して基本的には好意的に受け取っているのでしょう。
「嫁」と呼ぶべきか否かについては、個々人の自由な考えがあってしかるべきです。しかし言葉や名称は、その人の考えや意識を表現することは往々にしてあります。
現代は「嫁ぐ」という価値観や結婚スタイルが主流ではなくなり、また「嫁と呼ばれたくない」という女性も少なくない状況にありますが、「嫁」という呼称はいまだに根強く残っています。それは、「嫁」と呼ばれることで、結婚相手から選ばれたり愛されたりすることの幸せを感じている人が少なくないからかもしれません。
秋山 悠紀