あのペリーも従軍した米英戦争

浦賀沖に黒船が来航したのは1853年。アメリカ国歌ができたのは、その40年近く前のことです。当時のアメリカは、イギリスとの戦争中でした。

ヨーロッパは、ナポレオン戦争の真っ最中。アメリカは一応、中立していたもののナポレオン寄り。またイギリスは、インディアンに好意的だったとも言われています。さらにカナダをイギリスから取り戻すチャンスという意向も加わり、突入した戦争でした。この戦争には、黒船で来航したあのペリー長官も、若き日に従軍していたそうです。

「星条旗」
まだ明けやらぬ薄明かりのなか、
我らの旗は、しっかりとひるがえっているよ
黄昏どきにも、誇り高く輝いていたし、
決死の戦闘の最中にも、幅の広い縞と明るい星は
堂々とひるがえっていたよ(1番前半)

25時間砲弾を浴びたあと、目にした星条旗

米英戦争は当初、善戦したものの、ナポレオンが不利になるとともにアメリカも劣勢の様相が濃くなっていきました。東海岸の制海権を奪われ、ワシントンD.C.陥落、イギリス陸軍・海軍にカナダ軍も参戦して攻撃され続けるという最大のピンチに見舞われました。

目前に敵が迫ったボルティモア港のマクヘンリー砦では、19隻の大艦隊が襲い掛かろうとするなか、1000名のアメリカ兵士が守りについていました。

1814年9月13日、早朝に始まった戦闘でアメリカ軍は1500もの砲弾を浴びせられ、25時間続きました。作詞者の弁護士フランシス・スコット・キーは戦いの一部始終に身を置き、翌14日早朝、砲撃がやんだとき、星条旗がひるがえっているのを目にしました。その感動を歌ったのが「星条旗」とされています。

「星条旗」の前の3つの国歌