2. 発見したときは「全身の力も抜けて、ただ笑うしかなかった」
脱力系の土器を発見した時の話を聞いてみると、「弥生の絵画土器は大体脱力系なのですが、これはその中でもかなりのものだった」とのこと。
そのため「見た瞬間、顔も綻んで全身の力も抜けて、ただ笑うしかなかったです」と、笑みがこぼれた旨を教えてくれました。縄文ZINEさんと同様に、弥生時代の絵画土器を目にして力が抜けてしまった人は多いようです。
ポストには「なんともいえない表情がかわいい」「もっと力を抜きなよ、みたいな」「首の凝りが楽になった気がする」といった感想が続出しました。
3. 絵には脱力感がある反面、土器の造形力や付けられる紋様はとても精緻
縄文ZINEさんに「人々が土器に絵を描いていた理由」を質問してみると…。
「なぜという理由は分かりません。ただ、弥生絵画は銅鐸のような儀式に使われるものにも描かれるものなので、これはいたずら書きとかそう言ったものではないのだろうな、と思っています」とのこと。
続けて「弥生人はこのようにあまり絵が上手くはないのですが、その割に土器の造形力や土器に付けられる紋様はとても精緻。不思議な話ですね」と、弥生土器の不思議な側面を教えてくれました。
天理参考館にあった弥生の絵画土器の人物があまりにも脱力系で肩こりが治りそう。 pic.twitter.com/9mOHPC6kKO
— 縄文ZINE (@jomonzine) March 26, 2024
4. 弥生時代の日本の生活に「お金」はなかった
「弥生の絵画土器の人物」が話題となったことに関連して、ここから少し「弥生時代のお金と生活」について紹介します。
現代から2000年以上前の弥生時代を生きた人々は自給自足の暮らしをしていたため「お金」を手にする必要がなく、自ら食料や衣類を見つけるという生活をしていました。
そのような時代が少し進んだ頃、人々は「物々交換」によって必要なものを手にする仕組みを作り、貝や穀物、布、矢じりといった「物品貨幣」を用いることになりました。これがお金の始まりだと言われています。その後の708年、中国の開元通宝を手本にした「和同開珎」という日本で初めてのお金が作られました。
5. Xにて、さまざまな「縄文の魅力」を発信中
取材の最後、縄文土器に興味を抱いたきっかけを聞くと「造形の面白さ」だったと話す縄文ZINEさん。
続けて「縄文時代はすごく長くて日本列島全域に広がっていた文化です。そして時代ごと、地域ごとに特徴が分かれ、はっきりと地域性が見えてきます。だからこそ、いろんな地域を訪れて縄文時代の資料を見ると、現代の地域性に加えて縄文時代の地域性も楽しめるんです」と、縄文の魅力を語ってくれました。
縄文ZINEさんのXアカウントでは、さまざまな土器や土偶の写真を眺めることができます。気になる方はご覧になってみてはいかがでしょうか。
参考資料
小野田 裕太