A氏は大学を卒業してから10年以上サラリーマンとして勤務してきました。退職時に就いていた役職は当時最年少で得たポジション。そのポジションに就くことは「出世の最短コース」と認知されており、それもあってA氏は社内で自らが評価されていると思っていたと語ります。また、担当するプロジェクトも順調に進行していました。そんな最中でのリストラはまさに青天の霹靂。次にやることなどすぐには思いつかなかった、とA氏は当時を振り返ります。

サラリーマンとして会社に通うというルーティンもなくなり、家でこれから何をしようかと考える日々が続くなか、A氏が悩んでしまったのは、自分の子どもに対して「家にいる理由をどう説明するとよいのか」ということでした。

というのも、リストラされるまでは朝早く出社し帰宅も遅かったというのに、あるときから突然、毎朝子どもを家から送り出し、学校から帰ってくれば迎え入れるようになったことで、そのうち子どもが不思議がるようになったのだと言います。結局は、季節が夏だったこともあって「長めの夏休み」と言い切ってどうにかやり過ごしたのだそうです。

また、A氏が困ったのは家の中だけではありません。家の外でも保護者の集まりなどがあり、そこで「身分がないこと=自分自身をどう紹介するか」で困ったのだといいます。名刺も持っておらず、初対面の人に自分が何をしているのかを説明するのが面倒になってしまった、とA氏は話します。

起業をとるか、失業保険をとるか

以前からぼんやりとではあったものの起業も考えていたというA氏は、リストラを機に、転職ではなく起業して自ら新しいビジネスをスタートさせることを決意したのだといいます。

一方、失業保険を受給中だったA氏は起業した場合の失業保険の取り扱いについてハローワークに確認したところ、会社を立ち上げて役員に就任することで失業保険をもらえなくなることがわかりました。

起業するのですから当然とはいえ、すぐに起業して売り上げがすぐに立つわけではないということもあって、一瞬戸惑ったというA氏。ですが、「転職して他人に人生をコントロールされるよりは挑戦する人生の方が面白い」と最終的には失業保険の期間を満了せずに起業に踏み切ったのだそうです。

ただ、これもA氏に蓄えがあったからこそできた決断だったとも言えます。実際にA氏も「もし何にもない、それほど余裕がないとなればやはり『とりあえず就職』という気持ちになったかもしれません」と話します。

まとめにかえて

今や経営者のA氏は当時を笑いも交えて振り返ってくれましたが、予期せぬリストラの衝撃の大きさ、その苦難は計り知れないものがあります。また、A氏も言うように、蓄えがあるかどうかでもその後の選択肢は大きく違ってくるでしょう。もし万が一のことが起こったとき、みなさんならどう捉え、どう行動されるでしょうか。

LIMO編集部