日本有数の別荘地、軽井沢

軽井沢と言えば、誰もが知る日本有数の別荘地です。今上天皇・皇后両陛下が若かりし頃に出会ったのが軽井沢会テニスコートであることはあまりに有名ですが、それも、皇族をはじめ政治家や経済人などが軽井沢に別荘を構え、独特のコミュニティを築いてきたということが背景にあります。

軽井沢会テニスコート(2017年10月に筆者撮影、以下同)

全国の別荘の17戸に1戸が軽井沢にある

総務省統計局の「平成25年住宅・土地統計調査」によると、2013年時点で、国内には254,400戸の別荘があるとされています。同じ年の世帯数5,250万世帯に対する割合は約0.5%で、国内の200世帯に1世帯が別荘を所有している計算になります。

別荘の所在地を都道府県別に見ると、長野県47,500戸(18.7%)、静岡県38,700戸(15.2%)、山梨県17,900戸(7.0%)、千葉県17,500戸(6.9%)、群馬県14,800戸(5.8%)となっていて、長野県が首位です。

同じ2013年の軽井沢町の別荘の数は15,129戸ですから、長野県にある別荘の約32%が、また全国の別荘の17戸に1戸が軽井沢にあるということになります。別荘が軽井沢に集中している状況がうかがえます。

軽井沢の歴史

軽井沢近辺は寒冷な気候の高地で、浅間山という火山の近くのため、もともとは穀物があまりとれない寒村でした。それでも、江戸時代になって五街道が整備されると、交通の要衝ということもあり、中山道の宿場町として成り立っていました。

ところが、明治時代に入って中山道の人の往来が減ると、宿場町としては廃れていきました。

しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉の通り、軽井沢にとっての「拾う神」が現れます。1886年(明治19年)に、カナダ出身の英国人宣教師であるアレキサンダー・クロフト・ショーが軽井沢を訪れ、夏の避暑に度々軽井沢に滞在するようになりました。

古い旅宿を買い取って洋風の別荘(ショーハウス)とし、教会(ショー記念礼拝堂)も建てました。そして、友人知人に紹介したことで、軽井沢は外国人を中心に知られるようになりました。

ショーハウス

 

ショー記念礼拝堂

1893年(明治26年)には、碓氷峠線が軽井沢まで開通し、代議士である八田裕二郎氏が日本人別荘第1号を建設したことで、日本人の間でも別荘地として知られていくようになりました。

翌1894年には、亀屋ホテルが万平ホテル(現在も営業)に改称し、1906年には三笠ホテル(重要文化財)が営業を始めました。当時の旧軽井沢は、まるで海外にいるような雰囲気だったことでしょう。

その後、大正時代になると、箱根土地(現在のプリンスホテル)、野沢組、鹿島建設等の大手企業によって、旧軽井沢以外の別荘地の開発も進んでいきました。この結果、軽井沢は地域を拡大するとともに、日本人を中心とした華やかな別荘地となっていきました。

戦後の一時期は、主要な建物は進駐軍に接収され、軽井沢は進駐軍の軍人とその家族の保養地のような雰囲気となります。進駐軍の撤収後は再び日本人が戻ってきますが、新たな訪問客の獲得を目指し、スケートやテニス、サイクリングなどのスポーツの町という性格も持つようになりました。

そのおかげで、軽井沢のテニスで愛を育まれた今上天皇・皇后両陛下のご成婚につながったとも言えます。

地域の多様性とコミュニティとして機能する状況が必要

ここまで紹介した軽井沢の歴史を見ると、時代が移りながら訪れる人が変化していったことで、地域の多様性が育まれてきたことがうかがえます。一部は歴史的な資産に、一部は新しい文化となっています。同時に、いろいろな人が入ってきて多様化する中でも、これだけは守ろうというコミュニティの存在がないと、地域はばらばらになってしまいます。

軽井沢の場合、初期の頃から「善良な風俗を守り、清潔な環境を築こう」という軽井沢憲章が採択されていました。その憲章を守ろうという「軽井沢避暑団」(現在の財団法人軽井沢会)が設立されるなど、コミュニティ組織がしっかりと機能してきています。

地域の強みが発揮されるには、多様性と機能するコミュニティの存在が必要ということのように考えられます。

今後さらに激しさが増すことが見込まれる地域間競争

日本全体が人口減に向かう中、地域間の競争というのが確実に起きています。「ふるさと納税」で返礼品のお得度を競うのは、大都市圏の資金を地域間で取り合っていることと捉えることもできます。

ふるさと納税は「お金の取り合い」ですが、今後は、住民や観光客などの「人の取り合い」も顕著になっていくものと予想されます。

他の地域がうらやむような高いブランド価値と知名度があり、軽井沢町の統計で見ると、別荘の戸数は維持され、観光客数も増えています。

それでも、当の軽井沢町は危機感を持っているようです。軽井沢町では独自に調査を行い、「避暑地」であること以外で軽井沢が選好される条件を見極め、今後の集客(創客)の戦略に役立てようとしています。恵まれた条件に甘んじない姿勢が感じられます。

出所:軽井沢町の平成29年度統計より筆者作成

人生100年時代と言われるようになりましたが、どこでどのように過ごすかという視点も重要になってくると思われます。今年最後の3連休、今住んでいるところ、住んでみたいと考えているところがそれぞれどのようなところか、散歩しながら思いを巡らしてみるのも良いかもしれません。

藤野 敬太