1日に何度も喫茶店に行く。多い日は5回も6回も行く。喫茶店代、正直バカにならない。でも喫茶店にはそれに変えられない価値があるのだ。
仕事の合間に空白の時間ができたら、カフェではなく喫茶店に向かおう。俺が愛するノスタルジー喫茶とは、昭和の香りがする喫茶店だ。その香りに包まれていると、懐かしくてちょっとせつない気持ちになる。
神保町に行くと、いつもちょっとウキウキする。
昼めしどきにこの街にいたらラッキーだ。安くておいしいランチがたくさんあるからだ。
俺が攻めるのは、書店街のメインストリート「さくら通り」だ。
ここにはキッチン界の横綱「キッチン南海 神保町店」や、戦後間もなくこの地で餃子を焼き始めた「スヰートポーヅ」、天丼の「はちまき」など、昭和ランチ遺産の店がある。
この街には大学生の頃から通っているから、キッチン南海には何回来たかわからない。だから「キッチン何回」(笑)。
ランチでお腹が幸せになったら、落ち着いて珈琲が飲みたい。
神保町は素晴らしい喫茶店もたくさんあるから、日によって変えてみるのもいい。
いつも行く喫茶店の近くに、黄色いドアのこの店を見つけたのはいつのことだろう。外にジャズの音が漏れてきて、ドアを開けてみたら意外にも明るくて清潔な店内だった。
意外にもと書いたのは、俺の中にはまだ昭和のジャズ喫茶のイメージが残っているからだ。
今は少なくなってしまったが、昔は穴倉のようなジャズ喫茶がたくさんあった。
大学のあった四谷にもジャズ喫茶があって(今も健在!)、地下にある店は暗くて、お店の人は不機嫌、私語厳禁で、珈琲はまずいという当時のジャズ喫茶の条件をすべて満たしていた。
授業をサボると俺はその店に行った。1杯のまずい珈琲は、ジャズは楽しむものではなく学ぶものだという授業料のようなものだった。
スイングジャーナルの小難しいジャズ評論を読んで、わからないのにわかったような気になって、眉間にしわを寄せて聴いていた。
青春とは背伸びすることだ。今となってはすべてが愛おしい。
正直言うと、モダンジャズは楽しく思えなかった。俺はクロスオーバーやフュージョンという軟派なジャズに移行していった。モダンジャズとの出会いがもっと楽しいものだったらと、今になって思うこともある。
「ビッグボーイ」に初めて行った時のことをよく覚えている。
カウンターに座って大きなスピーカーから流れる音を聴いた時に、今目の前でジャズマンたちが演奏しているように感じたのだ。
スピーカーはJBL4343B。これだけの大きさのスピーカーが目の前で鳴っているのに、全くうるさくない。音圧は高いのに、とても澄んだ音色なのだ。
きっとアンプを含めたセッティングが素晴らしいのだと思うが、オーディオマニアではないので、実のところよくわからない。
カウンターに立つ店主の林さんにその感動を伝えると、「4343買えますよ。ヤフオクだったら30万円くらいで。どうですか?」と笑っておっしゃる。
うーん、でもこの大きなスピーカーはマンションには置けないなあと言うと、「うちは自宅でも4343聴いていますよ。これよりももっと近くから(笑)」。
その時鳴っていたのはビル・エヴァンスだった。確か「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジバンガード」だったと思う。
モダンジャズをきちんと通っていなかった若い頃の俺には、ビル・エヴァンスは地味で退屈に思えて、なんの興味も湧かなかった。
今となってはその不明を恥じるばかりだが、ビッグボーイのカウンターに座って聴いていると、深く感動している自分がいたのだ。エレガントだけれど力強いピアノのタッチ、自由奔放なベース、ソリッドなドラムのシンバルワーク。
なんにも知らない俺は林さんに聞いたのだ。「これは誰ですか?」と。
すると林さんはジャズの常識さえ知らない俺に、懇切丁寧にビル・エヴァンスのファーストトリオについて教えてくれたのだ。
スコット・ラファロというベーシストの天才的なプレイスタイル、そしてこのライブからわずか2週間後に自動車事故で死んでしまったこと、エヴァンスの喪失感などを語ったあと、「ジャズをもっと好きになってくださいね」と林さんは言ったのだ。
この日以来、ビル・エヴァンスを聴かない日は1日もない。
この原稿も「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジバンガード」を聴きながら書いている。
ジャズを聴くには適齢期があるのかもしれないが、若き日に避けて通ったモダンジャズへの道を、とても楽しく開いてくれたのは「ビッグボーイ」の林さんのおかげだ。
この店は昭和の店ではないのだけれど、青春時代を思い出させてくれるという意味で、ノスタルジー喫茶にふさわしい。あの穴倉みたいなジャズ喫茶とは、ちょっと違うけれど。
喫茶店
ビッグボーイ(神保町)
千代田区神田神保町1-11
03-3233-4343
山本 由樹