松下幸之助という経営者をご存じですか?

昭和生まれのビジネスパーソンであれば、パナソニック(6752)の創業者である松下幸之助氏(1894年~1989年)を知らないという方はまずいないと思います。

しかし、かつてパナソニックが松下電器産業という社名であったことをご存じない平成生まれの学生やビジネスパーソンのなかには、聞いたことがないという方もいらっしゃるかもしれません。

幸之助氏は「経営の神様」と呼ばれ、数々の経営に関する名言や著作を残し、解説書も多く出版されています。また、そうした本を購入しなくても、パナソニックのホームページには、「松下幸之助 一日一話」「松下幸之助物語」「松下幸之助の生涯」というコーナーが設けられています。ご関心のある方は、ぜひ参考にしてみてください。

商売の基本は気配り~KYではダメ、空気を読みましょう

では、幸之助氏がどれだけ商売人として才覚があったのか、その一端を探るために、先に紹介した「松下幸之助の生涯」のなかにある「煙草の買いおき」というエピソードから考えてみましょう。

幸之助が店で自転車の修繕をしていると、お客に「ちょっと煙草を買うてきてんか」と言われることが、日に何回かあった。彼はそのたびに、汚れた手を洗い、1町先の煙草屋まで駆け出した。そんなことを何度も続けていたが、手数がかかって仕方がない。

彼は、そのうちにふっと思いついて、自分の給金で20個ずつ買っておき、その場ですぐ渡せるようにした。
当時、よく売れたのは、朝日と敷島であったが、これらは20個が1ケースになっていて、それだけ買うと1個のおまけがついた。月に50個も60個も売れたから、かなりの利益が出た。多いときで、そのもうけが給金の4分の1に達する月もあって、お客からは「賢い子どもやな」とほめられた。

ところが、半年ほどして、仲間に不満が出て、ある日主人から呼ばれた。「おまえ、もうやめとけ。皆があれこれ言うんで、わしもつらいんや」と主人に忠告され、彼は即日やめることにした。それからまた煙草を買いに走ることになった。

出所:パナソニックホームページ、松下幸之助の生涯、煙草の買いおき 1906年(明治39年)

 

家庭が裕福ではなかった幸之助氏は、9歳で実家の和歌山を離れ、大阪で丁稚奉公に出ています。この話は、そうした境遇で「五代自転車店」という自転車屋で働いた頃の出来事です。

その年齢で、まとめ買いによって多額の利益を生み出すことを思いつくというのは、さすが経営の神様だと感心してしまいますが、このエピソードのポイントはそこではありません。

幸之助氏は、「利益を独り占めしてしまうと、他の丁稚奉公の同僚や先輩などから反感を買ってしまう」という苦い体験を教訓として伝えようとしているのです。

つまり、「独り勝ちはダメ」であり、「共存共栄」という考え方を持たないと商売人としては大きく育っていかないということが、このエピソードの重要なメッセージとなっているのです。

また、主人から「もう、やめとけ」と言われるまで、周囲の人間の妬みなどの感情(空気)を読み取ることができなかった、つまり「KY」であったという失敗談も、あえて教訓として伝えているのです。

「幸之助語録」は癒し系!?

いかがでしたか。このエピソードを読むだけで、経営の神様でも最初は人間関係で失敗しそうになったということがわかり、ほっとしたり、親近感を持たれたのではないでしょうか。

このように、「幸之助語録」は、上から目線で成功体験を語ったものではなく、また、単なる根性論の人生哲学でもありません。

むしろ、細かな感情の機微や他人への思いやりの大切さなど、最近の新自由主義的な競争一辺倒の企業社会が見失った価値観を思い出させてくれたり、「こんなに人に優しい考え方でもビジネスで成功できるんだ」という気づきを与えてくれる、”癒し系”の読み物なのです。

ちなみに、そうした側面が「松下幸之助女子」という言葉が生まれるほど多くの女性をとりこにした一因であるとも言われています。

まだ読んだことがないという方は、ぜひこの夏休みに、経営の神様の言葉に触れてみてははいかがでしょうか。

LIMO編集部