こうした何気ない会話は、家の経済状況以上に進路に大きな影響を与えました。国公立大学への進学を厳命されましたが、なんとかクリア。その後は就職、結婚、出産とライフスタイルの変化を経験し現在に至ります。

その一方で、小学校や中学校の同級生の中には親の意向で中卒から働いた子もいました。経済状況は筆者の家と同じ、またはそれよりも安定していました。1990年代半ば、高校進学率(通信課程を除く)は95%以上と現在とほぼ同じ水準に達していましたから、そのことを考慮すると同級生の選択はかなり目立っていたといえます。

その同級生の家は、親自身が中卒で働いていたこともあり、子どもにも「早く社会に出て働くように」と願っていたのです。当の本人たちがそれを希望していたのかは定かではありませんが、「中学を出たら働けと、ずっと言われてきた」と口にしていました。

「親ガチャ」の一言で片づけるのは簡単だけれど

親ガチャという言葉には、”何でも親のせいにするな”というような批判的意見もあります。しかし、親の考え方次第で子どもの進路や選択の幅が大きく異なるようになるのも見過ごすことはできません。

今回の親ガチャの話題は、かつての同級生のことを思い出すきっかけになりました。本人が納得していたのなら問題はありませんが、やむなく親に従う形で高校進学を断念していたのなら、それは「親ガチャに外れた」ことになるのかもしれません。

参考資料

中山 まち子