もちろん、成績のアップダウンに目を光らせ、”こういう勉強をすべき”などと子どもに自分の考えを押し付けたり、目標を達成するまでゲームや友人との交際を制限する母親もいます。この場合、父親がそこまで教育熱心でなければ、子どもにとって「父親=逃げ場」となり、家庭内の緊張感を和らげる存在となります。

けれども、両親揃って、もしくは父親が行き過ぎた教育パパだと、子どもには逃げ場がなくなり、ずっと勉強をさせられたり監視されたりする状態が続きます。「誰のおかげで塾に行かせてもらっているんだ」「お金をかけているんだから結果を出せ」など心ない言葉まで浴びせられては、子どもは委縮し勉強に集中することはできません。

理想を押し付けることの虚しさ

筆者も、自分の学生時代や塾の仕事をしていた時に「教育パパ」を持つ子に遭遇したことがあります。

中学時代のクラスメイトや塾の生徒は、年齢も住んでいる場所も全く異なりますが、「お父さんの職場の同僚の子が進学校にばかり進んでいるので、自分も不合格が目に見えているのに受けさせられる」「成績が上がらないとお母さん以上に怒るから嫌だ」と同じようなことを口にしていたものです。

どのケースも「自分の進路を決めるのは父親」と、非常に冷めた口調で言い放っていたのが印象的でした。本人の学力や意思を無視し、無理難題を押し付けるような言動に反旗を翻したら父親からどんなことをされるのか。15歳にして人生を諦めるような姿を目の当たりにし、考えさせられるものがありました。

こうした子どもの視点を排除し、親の考えばかりをゴリ押ししても良い結果にたどり着くことは稀でしょう。そして、子どもの主体性を育てる機会を奪い、心に大きな傷跡を残す恐れがあることを忘れてはいけません。