東京大学が2018年度に行った「学生生活実態調査」では、アンケートに答えた学生の60.8%が「世帯年収が950万円以上」と回答。最難関の東京大学に入るには、子ども自身の能力だけではなく経済的に恵まれていることが大きな要因になっているようです。

貧しいけれど才能のある子が難関大学に挑み、苦学をし、立身出世を目指すという話はもはや過去の遺物になっているのでしょう。

コギャル全盛期にすでに学歴が固定化?

学力や学歴が教育費次第という考えや、世代を通じた学歴の固定化は21世紀に入ってから広がりを見せているように捉えられがちです。しかし筆者は自身の体験から、こうした固定化はそれ以前から起きていたと感じています。

筆者は公立校が優位な地方の出身者であり、地域では進学校とされる高校に入学しましたが、その際に非常に衝撃を受けたことがありました。それは、両親とも高卒という同級生が自分以外、皆無だった点です。

当時はアムラーやコギャルがルーズソックスを履き街を闊歩していた時代。1990年代後半の地方であっても、進学校に通う生徒の親(現在60代後半~70代)の多くは専門学校や短大卒以上ばかりでした。

同級生の親の職業は公務員、金融機関勤務、教員、企業の研究職や医療従事者などがゴロゴロ。両親ともに大卒、または父親は大卒で母は短大卒または専門学校卒という組み合わせが多かったのを覚えています。

中には母親が高卒という子もいましたが、父親は首都圏の私立大学出身者。典型的な貧乏学生だったようで、仕送りが底をつき、バイト代の支払いまでマンガのような粗食で食いつないだ話などを面白おかしく教えてもらったものですが、結局卒業するまで「両親ともに高卒」という生徒に出会うことはありませんでした。