日本にオードリー・タンは現れるか

結局のところ、ITと社会や政治は、もはやダイレクトにつながっているのだと思います。つまり「台湾の偉人オードリー・タン」をITの天才かつ政治の天才という、違う世界にまたがる「文武両道」的に捉えてはダメということかもしれません。

たとえばネットワーク論でよく言われる「エコシステム」。企業の枠を超えたネットワークを意味しますが、これは未来の協働的な社会や産業構造とつながっています。このようなITを社会の中枢に実装することが、いまのITの主要テーマですから、ITが社会や政治と無関係でいられるわけがない。

これをもっと分かりやすく説明すると、「A業界ってIT導入が遅れているね」という言い方がありますよね。10年前は確かにその表現でよかった。ただITが重要になればなるほど、「A業界はIT導入が遅れている」は「A業界は遅れている」とほぼ同義になってくるわけです。そしてこの「A業界」を「A国」と置き換えてもよい。

昨年、平井デジタル改革担当大臣が日経のインタビューで「日本はデジタル敗戦した」と語ったのは衝撃的でした。これは日本政府のデジタル施策が、すべて失敗したと認めたものです。しかし「日本がデジタル敗戦した」ということは、「日本が敗戦した」ということではないのか。メディアもこの点を全く突っ込まない。

結局、日本政府におけるITは単なる道具・ツールなんですよね。平井大臣もそのように見切っているから、あの発言ができる。日本の政治は、「誰とでも意見交換しよう」いう考え方とはむしろ真逆で、「総合的に判断した」で済んでしまうことも多いですから。

そして、このような状況の日本では、残念ながらオードリー・タンは決して現れないと思います。

参考資料

榎本 洋