教育学博士、コミュニティーカレッジ講師では不十分?

ではなぜつっこまれてしまうのでしょうか。その要因の1つは彼女の学位が博士号とはいえ、Ed.D(教育学博士)でPh.D(哲学博士)ではないということです。Ed.DはPh.Dより劣っていると認識されがちのようです。

批評家のカイル・スミス氏は米保守傾向のニュースメディア、ナショナル・レビューにかなり辛辣な批判記事(※3)を寄稿しました。

「彼女の学位はPh.DではなくEd.Dだ。アカデミックの環境では冗談のような学位だ」とEd.Dという学位自体をけなしています。さらに、「彼女の博士論文はゴミだ」とその内容と質をとことん批判しています。

Dr.バイデンは 2009年、夫が副大統領に就任した年に今のコミュニティーカレッジのパートタイム講師となりました。そして2011年、同コミュニティーカレッジで正式な終身雇用の教授となりました。それまでは代理教師からスタートし、高校や青年向け精神病院、テクニカルカレッジなど、様々な環境で教えていたそうです。

たしかに、博士号を取得し高等教育で教えたキャリアは短く、研究実績もあまりなさそうです。総合大学の終身教授職になるほどの採用過程や昇進基準にチャレンジはなかったかもしれません。しかし、博士号取得者で経験豊富な教育者なのだから、ドクターの敬称をつけることに目くじらをたてることでもないと思います。

史上初の仕事を続けるファーストレディは良案か

それよりも国民にとって重要なのは肩書ではなく、ファーストレディとしてどんな行動をとるかではないでしょうか。Dr.バイデンは今後も教え続け、教授職を保持すると明言。史上初のフルタイム職と兼業するファーストレディと言われています。教師としての熱意は尊敬します。兼業がよくないということでもありません。ですが、ファーストレディという大役を担いながら、他の教員と同じ条件で続けられるのでしょうか。

以前の記事でも書きましたが(※4)、大学やコミュニティーカレッジでは正式な終身雇用の教授職のポジションを年々減らしています。博士号を取得しても正式な教授職につけずに低賃金でパートタイム講師として、アメリカの高等教育の土台を陰で支えている人が山ほどいるのです。

もし、Dr.バイデンがなにかしらの特別扱いを受けてまで今の教授のポジションを保持しようとするのなら、民主党が重視する「平等」への配慮に欠けるのではないでしょうか。それならば、次の世代の埋もれている才能にその貴重なポジションを譲ってもいいだろう、と密かに考えるのは筆者だけでしょうか。

バイデン大統領は政策の1つにコミュニティーカレッジの完全無料化を掲げています。バイデン政権で教育学博士のDr.バイデンだからこそできることはいくらでもあるはずです。そこで「ドクター」としての能力を発揮することにファーストレディとして専念するのも悪い選択ではないだろう、というのが筆者の個人的な意見です。

参考資料

美紀 ブライト