明智光秀の人間像

本能寺の変の原因は、残された文献も少なく、真相は闇のなかです。以前は単独説・怨恨説が主流でしたが、近年は「黒幕説」が注目を集めています。その黒幕も諸説あって、「足利義昭説」「朝廷説」「イエズス会説」「四国説(長宗我部元親説)」などがあります。

麒麟の光秀も明快な黒幕説ではありませんでしたが、いろいろな人の思惑や期待に光秀が思い悩むという流れでした。

そのうえで、最終回の泣き所は、やはり本能寺で討ち果たした信長と光秀の間の“友情"ですよね。麒麟の描く光秀像は、信念を持ちつつ、いろいろな人の立場や気持ちがわかってしまうナイーブな魅力的な人物でした。

史料のなかでの光秀像は全く逆のものもあります。

宣教師ルイス・フロイスが記した貴重な同時代史料「日本史」のなかでは、以下のように描かれています『光秀は裏切りや密会を好み、刑を処するに残酷で、独裁的でもあった。己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった』。

光秀は織田家に中途入社して、異常なまでの昇進スピードで高官になります。いまで言えば“役員"ですよね。いくら成果主義のベンチャー企業・織田家とはいえ、フロイスの指摘する過酷な面も、光秀は持ちあわせていたのかもしれません。