「日本は一度レールを外れると再起不能、負け犬に厳しい社会」という声は依然として多いと感じます。しかし、世界を俯瞰すると、これは必ずしも正しい主張とはいえないのではないでしょうか。筆者はこの逆が正しいと考えています。つまり、「日本はレールを外れても、やり直せる社会」ということです。
「学歴フィルター」は本当に悪いのか?
日本社会は中身ではなく、学歴を見る社会だという主張があります。
「学歴フィルター」が存在するのは事実で、かつてSNSを騒がせた事例としては企業説明会にまつわる話があります。企業説明会の応募にあたり、早稲田大学の学生になりすましてログインをするとまだ空席がたくさんあるのに、そうでない大学の学生のログインでは「空席なし」と表示されてしまうというのです。なかなか露骨な学歴フィルターですが、筆者はこの措置を特別悪いとは感じません。
魅力的な大企業ほど応募者が殺到しますから、人事の立場で考えると応募者1人1人の中身を細かく精査するリソースがありません。そもそも、人の本音などわずかな面接の時間ですべて見抜くことは現実的ではないでしょう。また、万が一採用者に問題があって、選定基準を学歴でなく、人物本位で決めたとなると「人を見抜く眼力がなかった」と責任追及されてしまうのは必至です。特に仕事の経験がない学生は、仕事の実績をチェックできませんから、必然的に学歴で決めていくことになります。
本音では学歴で決定するのに、表向きは「当社に学歴フィルターはありません。全員、学歴不問でウェルカム」などといってしまうとかえって問題に感じます。高学歴でない、採用を夢見て応募する学生の就活リソースを、ムダに消費させることになってしまいます。
不文律として、学歴フィルターの存在を意識することは、応募する側のためでもあると思うのです。