それから月日は流れ、現在

現在、筆者は結婚し3児の母になりました。

当時お付き合いしていた彼とはお別れしてしまいましたが、夫は唯一、お付き合いしている段階で入信していることを伝えることができた相手でした。

そして、夫と子どもたちは入信していません。

家族の中でもっとも信仰熱心だった祖母が亡くなり、また筆者たち一家は実家と離れて暮らしているため、日常的に入信を勧められることはないからといえます。ただ、節目節目で母から言葉を投げかけられることはあります。

「お寺さんには行ってる?」
「孫たちは入信させないの?親が子どもにできる最も大切な贈り物なのに…」
「私が死んだときに分かってくれるのかしら、って思ってるの」

このような言葉を聞くと、筆者の中ではいまだに少なからず罪悪感を覚えてしまいます。それでも「夫と子どもたちが自分から入信したいというなら止めないけど、筆者から勧めることはしない」と思っています。

子どもたちには、自分に選択肢のある人生を歩んでほしいのです。それは基本、宗教だけではなく職業・趣味、そして結婚相手にしても…です。筆者自身、現在の人生の選択は最終的には筆者が選んだものであると納得していますが、信仰に感じていた窮屈さ、そして行動や意志に常につきまとう罪悪感…。振り返れば、多感だった時期には確実に筆者の重荷になっていました。

幸せの形は人それぞれであるように、その形を模索する自由は、誰しもが求めていいのではないか…そう思っています。その環境を、最愛の我が子に与えてあげたい、それが筆者たち親からのもっとも大切な贈り物になったらいいな…と願っています。

※繰り返しますが、今回のお話は筆者個人の意見であり、けっして信仰を批判するものではありません。また、各個人の信仰や婚姻の考えを制限もしくは否定するものでもありません。

白藤 さつき