赤と黄の「派手な色」が選ばれた理由とは?
現在のスペインの国旗には、王冠・柱・盾などを組み合わせた複雑なデザインの国章が置かれています(別画像参照)。記事のトップ画像にあった旗は「先代」のスペイン国旗です。新旧どちらの国旗にも国章が置かれていますが、そこに描かれたものはずいぶんちがうようです。
まずは、国旗の背景の色に注目してみましょう。スペイン国旗は「赤・黄・赤」の横三分割旗で、黄色の帯は赤の帯の2倍の幅があります。愛称は「ロヒグアルダ(血と金の旗)」で、赤は「祖先の勇気」、黄は「新大陸で発見した富」を表します。
いまではスペインの「ナショナル・カラー」ともいえるこの配色が誕生したのは18世紀後半のこと。当時のヨーロッパでは、旗といえば、複雑な紋章をつけた白地のものが多かったのですが、「海上戦になったときにほかの国の船と区別しやすいように」と、当時のスペイン国王カルロス3世によってこの「派手」な色が選ばれたのです。
さまざまな歴史が描かれた国章
スペイン国旗のもう一つの特徴は、旗ざお(左側)寄りに置かれた国章です。王冠はスペインが王国であることを表しています。その下の盾には、輝かしいスペインの歴史が描かれています。左上の城はカスティリャ王国、右上のライオンはレオン王国、右下の鎖はナバラ王国、左下の赤と黄の縦縞はアラゴン王国、底の部分のザクロはイスラム教徒から奪還したグラナダ、そして中央部のユリは現在の王家であるブルボン家を表しています。
こうした盾型の紋章はヨーロッパの国旗によく見られるデザインです。
紋章を描いた盾の両側には、青い波の上に2本の柱が立っています。これはギリシャ神話の英雄ヘラクレスに由来する「ヘラクレスの柱」で、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸に挟まれたジブラルタル海峡を表し、スペイン領の広大さを示しています。
この柱に巻きついた赤いリボンには、ラテン語で「PLVS VLTRA」と記されています。これは「より彼方の世界へ」という意味で、16世紀の大航海時代、スペイン国王で神聖ローマ皇帝を兼任したカルロス1世の標語です。アメリカ大陸にまで領土を広げ、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた絶頂期のスペインの勢いが伝わってきますね。
独裁者の死後、国章から取り除かれたシンボル
1931年には王政が廃止されて、スペインは共和制となり、1936年には社会主義連合政権の人民戦線内閣が誕生しました。しかし、これに対してフランシス・フランコ将軍が反乱を起こし、「スペイン内戦」が始まります。結局、内戦はイタリアとドイツの支援を受けたフランコが勝利し、1939年にフランコの独裁が始まりました。
記事のトップ画像にあった旗は、1977~81年のスペイン国旗ですが、その原型となるデザインの国旗は、フランコ政権とともに誕生しました。
紋章が描かれた盾をうしろから足でつかんでいる黒鷲は、14世紀のスペイン王家の紋章にも使われたキリスト教の聖ヨハネのシンボルで、よく見ると、頭に後光が差しています。
また、左右にある2本の柱の下に描かれた、くびき(車を引く牛や馬の首にかける横木)と5本の赤い矢の束は、フランコがつくったファシスト政党「ファランヘ党」の旗にも描かれた同党のシンボルです(別画像参照)。
1975年にフランコが亡くなると、フランコから後継者指名を受けたブルボン朝のファン・カルロス1世が即位し、王政が復活しました。その後、スペインでは民主化が進められ、1978年には新しい憲法が制定されて議会制君主国となり、1981年には国旗からフランコ政権時代の黒鷲、矢束とくびきが取り除かれ、現在のデザインとなったのです。
■[監修者]苅安 望(かりやす・のぞみ)
日本旗章学協会会長。1949年、千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。総合商社に入社し東京本店、ニューヨーク支店、メルボルン支店食品部門勤務を経て、食品会社の取締役国際部長、顧問を歴任し2015年退職。2000年より旗章学協会国際連盟(FIAV)の公認団体である日本旗章学協会会長。北米旗章学協会、英国旗章学協会、オーストラリア旗章学協会、各会員。旗章学協会国際連盟にも投稿論文多数。著書は『世界の国旗と国章大図鑑 五訂版』『こども世界国旗図鑑』(平凡社)、『世界の国旗・国章歴史大図鑑』(山川出版社)など多数。
この記事の出典:
苅安望[監修]『国旗のまちがいさがし』
クロスメディア・パブリッシング