金利低下で企業年金債務が膨張
2016年7月26日付け日本経済新聞は、「上場企業の年金債務の合計が2016年3月期末で91兆円と過去最大になった」と報じています。
最近の株式市場では、政府・日銀に対してマイナス金利の深掘りなど、さらなる金融緩和策への期待が高まっています。追加緩和策は実質金利の低下をもたらし、一層の円高を阻止することや、銀行には貸出増加を、企業には内部留保をため込む代わりに設備投資の増加をもたらす、といったプラス効果も期待できるためです。
ただし、金利が低下すると、年金費用の増加や自己資本比率の低下など、個別企業レベルではむしろマイナス影響が大きくなる可能性があることが、こうした報道から改めて感じられると思います。
とはいえ、会計制度の専門家ではない個人投資家には理解がやや難しい内容ですので、ここで、改めて金利が低下するとなぜ企業業績が圧迫される可能性があるのか、おさらいしてみたいと思います。
マイナス影響が現れる企業年金制度とは
まず、この報道を正しく理解するためには、企業年金には確定拠出型と確定給付型の2通りがあることを知っておく必要があります。
確定拠出型年金は、企業が将来の年金資産のために、従業員に対して毎年一定額(掛け金)を拠出する制度です。運用は個人の自己責任で行われ、上手くいけば高いリターンを将来得ることができます。一方、上手くいかなかった場合も自己責任ですので、企業が責任を負うことはありません。
これに対して、確定給付型年金は、将来の年金の給付額を企業が確定(保証)するものです。ただし、運用は安全重視で行われますので、受け取れる金額は自分でリスクを取って運用した場合よりも少なくなる可能性があります。
このように、企業年金には2つの制度がありますが、企業業績が金利低下の影響を受けるのは後者の確定給付型の場合です。
すべての企業が確定拠出型年金に移行していれば、今回の記事のような問題は起きないわけですが、厚生労働省によればその加入者数は2016年3月末時点で日本の労働力人口の1割弱に留まっています。2001年に確定拠出年金が導入されてから約15年経過しても、まだこれほど低い割合なのです。
金利低下=割引率低下=年金債務の増加
次に本題の、金利が低下すると年金負債が増加する理由を考えてみます。
確定給付型年金制度を導入している企業の場合、将来支払うべき年金債務は、「退職給付引当金」あるいは「退職給付に係る負債」としてバランスシートの負債項目に計上されます。これらの財務項目は、現時点で必要な金額である「退職給付債務」から年金資産額を差し引いて計算されます。
この退職給付債務は、将来の債務を現在価値に割り引いて計上されますが、この計算に用いられる割引率は、従業員の退職までの平均勤務年数に近い長期国債の直近の利回りが参考とされます。
割引率と現在価値の関係を簡単に理解するために、1年後の100円の現在価値について考えてみましょう。
仮に割引率が10%であるとすると、現在価値は、100円÷1.1=91円となります。一方、割引率が0%であるとすると現在価値は100円÷1.0= 100円となり、さらに割引率がマイナスである場合、例えば▲10%であるとすると、100円÷0.9=111円となります。
このように10%の時よりも0%の時の方が、0%より▲10%のほうが、つまり割引率が低くなればなるほど、現在価値は大きくなる、つまり年金債務は大きくなるのです。
このことを頭に入れて退職給付債務の現在価値を考えると、割引率が下がると退職給付債務が増加することが理解できると思います。つまり、金利低下(=割引率の低下)は退職給付債務を増加させてしまうことになるのです。また、マイナス金利の深掘りが行われると、事態はさらに深刻になる可能性が高いことがご理解いただけると思います。
ちなみに、こうした割引率の変動による現在価値の見込み額と実績との差のことを「数理計算上の差異」と呼びます。また、数理計算上の差異には、退職給付債務だけではなく、年金資産の期待収益率と実際の運用成果との差額も含まれます。
いずれも、日本の会計基準では損益計算書(PL)の費用項目として認識されることになり、これが増加することを「年金費用の増加」、あるいは、「年金積立不足の償却費用の増加」と呼び、利益の圧迫要因となります。
ちなみに、年金資産の積立不足の償却方法は、米国会計基準や国際会計基準ではPLを通さずにバランスシートの資本の部(包括利益)で調整を行います。また、PLで償却する日本基準でも、一括で行う場合と、複数年にわけて償却する場合とがあります。とはいえ、いずれにせよ“積立不足”の増加は株主資本を圧迫するものであることを覚えておきましょう。
気になる東芝の未積立額
日本経済新聞の記事には、年金の未積立金が多い主な企業として、日本郵政(6178)、日本電信電話(9432)、東芝(6502)、日立(6501)などが挙げられています。いずれも、上述した確定給付型年金制度を採用していることに加え、歴史が長く従業員の平均勤続年の長い企業が多いことが共通点です。
このリストの中で特に気になるのが東芝です。同社の場合、2016年3月期末の株主資本は3,288億円、株主資本比率は6%に留まります。これに対して、未積立額は6,589億円に達します。
また、割引率も1.1%と、このリストの他社の水準(0.5~0.6%)に比べて高くなっていることも気がかりです。今後、さらに金利低下が進み、割引率の見直しを迫られた時に、「過小資本」のリスクが一段と懸念される可能性がありそうです。
このように、金利低下(マイナス金利政策)は、経済を活性化させたい政府・日銀の期待とは裏腹に、個別企業ベースではマイナス面が小さくないことに留意しながら、株式投資の銘柄選別を行いたいと思います。
和泉 美治