具体的には、家事全般のやり方について難くせを付けます。台所のスポンジの置き方、ガスコンロの掃除の仕方、冷蔵庫の整理の仕方、洗濯物の畳み方、浴用タオルの掛け方、果ては子供の育て方まで全て「姑ルール」基準を押し付けます。A子さんのやり方は全く認めません。

時にはA子さんだけでなく、孫にも「姑ルール」を発動します。女の子が足を組むことは言語道断で、しつこいほど指摘します。孫たちは「はいはい」とその時は直しますが、基本スルーです。「女の子だからこうあるべきだ」という「べき論」を振りかざします。今の時代の価値観で生きている子供たちは「何で女の子だと足を組んじゃダメなの?」と時折反撃します。

姑は「家」という概念に固執します。「○○家の嫁として」と時代錯誤な表現を多用します。姑は仕事柄ハイソサエティーな人とのお付き合いがあるため、自分はその一員と勘違いをしているようです。姑の生い立ちを顧みると、残念ながらハイソではありません。自分もハイソなつもりなのでしょうが、少々滑稽に見えます。

人のせいにするのは自分に向き合えていない証拠

スーパーマーケットのイートインコーナーで、絶え間なくウサワ話をしているおばちゃん達のグループ、見たことありませんか?「よくネタが尽きないな」と思います。話は基本「他人の不幸」で、自分のことは「棚上げ」しています。

自分の境遇に不満ばかり言っている人も、自分自身に向き合えない人です。自分にベクトルを向けずに他人にベクトルを向け、厳しくチェックして「自分こそは真っ当な人間だ」と思い込みたいのです。他人に厳しく、自分に優しいのです。

残念ながら、どんな集団に行っても同じタイプの人は存在します。そんな人の標的にならないように、程よく距離を取ることが自分の身のためです。

堀田 馨