夫の言い分はこう。

家では心底リラックスしている状態。外で一生懸命コミュニケーションを取っているのだから、家にいる時くらい素の自分でいたい。話したいこと、話すべきことがあればきちんと話すし、興味のある話題ならきちんと聞く。「会話がない=愛想が尽きた」とかではない、家が心地いいし、居心地のいい空間を作ってくれる君には感謝している…。

「興味のある話題なら…って今まで私が話しかけていたことは興味がなかったことなの?と問いただすと、そういうわけじゃないけれど、新聞やテレビに集中しているときに話しかけられると生返事になってしまう、と返してきました。私との会話は新聞やテレビ以下かと思うと、悲しくなってしまいます」

その努力、本当に正解?

Aさんはしきりに「私ばかり会話をしようと努力している」というと、Aさんの夫はこう反論したのだとか。

「会話って、『今日は暑かったわね』だの、『タレントの○○が離婚した』だの、『お隣の□□さんが旅行にでかけた』だの、そんな話ばかりじゃないか」

それのどこがいけないのだろう…と不満げなAさん。しかし、Aさんの夫の気持ちもわからなくもありません。「会話」とは双方が互いに話し合うこと。どちらかが一方的に、「今日は何があった」「今日はどんな人と会った」などとまくしたてるのは、「報告」です。

Aさんの「会話をしたい」という気持ちはよくわかります。だからこそ、夫が興味の持てるような話や、返答しやすいような話し方をすることも必要だったのではないでしょうか。

長年一緒にいると、夫婦の会話も業務報告が多くなるのは仕方がないこと。交際し始めのように、相手のことをもっと知りたい、相手に自分のことをもっと知ってほしい…という時期はとっくの昔に過ぎています。

また結婚すると、家計のことや子育てのこと、お互いの親戚づきあいのこと…ときには耳が痛い大切なことを話し合わなければなりません。となると、恋人同士のころのように「会話=楽しいもの」ではなくなるものです。