今さら悔いても仕方がありません。でもこの気持ちを忘れたくない。せめて自分の身近にAくんのような子がいるなら助けてあげたい。そう感じます。だから、スーパーで子供を大声で怒る親や、子供の泣き声がずっと続く家があると、ついつい気にしてしまいます。おせっかいなおばさんかもしれません。でも救われる子がいるなら、おせっかいをしたい!そう思う気持ちがあるのです。
しかし、もしかしたらAくんはうちで長く遊んでいたせいで、反感を買って暴力を振るわれたのではないだろうか…。そう思うと、おせっかいをしたせいで、子供への暴力がひどくなるかもしれない。とも思ってしまうのです。
虐待がなくなってほしい!でもその特効薬はない。行政や警察が介入すべきだが、人手不足も実情なのでしょう。どうすればよいのか、と悩むたびに、Aくんのあの色白で丸顔な優しい笑顔が頭に浮かぶのです。
まとめ
虐待はあってはならないこと、それでも、子供に暴力を振るったりネグレクトをしてしまったりする親が後を絶ちません。私がAくんに会ったのは、たったの一度だけ。それでもAくんのことが忘れられません。
私と同じように周りで虐待死があったという人の心にも、傷跡が残っていることでしょう。身近に虐待があった子の心のケアも必要かもしれません。虐待で傷つき悲しむ子がいない世の中になることを祈るばかりです。
参考:子ども虐待運動 オレンジリボン運動「虐待死統計データ」
小関 あんな