「何回か集まるうちに、みんな自宅で撮った写真などを見せ合うようになりました。お食い初めやハーフバースデーなど、みんな趣向を凝らした愛情いっぱいの写真に『かわいい!』と思うと同時に『うち、何もしてない!ヤバい!』と思うように。ネットで見るようなことをみんなが普通にやっていることに驚いたというか…子供のためにも慌てて調べ、我が家も気持ち程度の手作りをしてみることにしました」
しかし、合理主義なTさんは「似たようなものが売っているのだからわざわざ作らなくてもいいのでは?」と心の中で思っていたそう。ある日、一人のママが「子供たちを仮装させて集まろう」と提案してきたといいます。Tさんはすぐさまネットで赤ちゃんの衣装を手配。赤ちゃんたちもまだ小さかったので、子供用ではなくママさんたち用にお菓子を用意して会に出席しました。
「なんと、私以外のママがみんな手作りのおやつを持参していました。しかも、まだあまり食べられない子供たちに配慮したものや、アレルギーなどにも気を配ったものなど。赤ちゃんたちの衣装も、どこかワンポイントに手作りのものがあって…しまった!と思いました」
たまたまハンドメイドが好きなママが集まった会合だったようですが、Tさんは「私は毎日子供のお世話だけでヘトヘト。他のことにパワーを注ぐ余裕のあるママはすごいなと思いました。私に比べ『育児を楽しむ』姿勢が強いというか。皆さんとってもいい方たちだったので、距離を置くのは少し残念に感じましたが『仕事に復帰するので忙しくなる』とそのグループからは抜けさせてもらいました。その後、子供を保育園に入れましたがおしゃれな手作りママはほとんどおらず、みんなが忙しくいっぱいいっぱいという話を聞くとここが私の居場所なんだと実感しました」
いくら子供のためといっても、余裕のないことはできない、とTさんは語ってくれました。
まとめ
華やかな付き合いや「映える」集まりは一見楽しそうに見えます。しかし、どこかで自分が無理をしていることに気が付いているのであれば、その付き合いは本当に必要なものなのでしょうか。
今回お話をうかがった二人のママは、自分の中の違和感に対し正直になったことで、自分に合う居場所を見つけました。その場所がたとえ映えない仲間だったり地味な空間だったとしても、自分が自分らしくいることのできる場所というのは、大切な場所といえるのではないでしょうか。自分が無理をするように、もしこの先子供たちが無理して友人関係を続けるシーンがあったら?そんなことを想像してみてもいいかもしれません。
佐渡 六花