遊具から落ちたり、転んだりした子がいれば、すぐに駆け寄り、けがをしていないか確認します。親同士お互いさまの厚意であり、ありがたくそれを受けこそすれ、迷惑に思う人はいません。
親がちょっと目を離した瞬間に、子どもに何か起こることは十分あり得ることで、周囲の人がそれを無視することはまずないのです。その場に居合わせた大人の「暗黙の了解」が、子どもを守ります。
大きな声は子どもの「権利」?
どんなにおとなしい子どもでも、うれしいことがあれば興奮して声が大きくなったり、飛び跳ねたり、また反対に嫌なことがあれば、泣いたり、駄々をこねたりするもの。外出先であれば特に、同伴している親たちは子どもを注意しますが、それでも収まらないことがあります。
周囲の人たちは最初はびっくりしても、「ああ、子どもか」と、気にしている風には見えません。「そもそも子どもとは泣いたり、笑ったり、大声を出したりするものなのだ」と納得しているようです。自分にもそんな時期があったと覚えているのかもしれません。
居合わせた人の多くは動じずに、自分がしていることを続けます。中には親切な人がいて、子どもに話しかけ、なだめることもあります。
ニュージーランド社会は、子育て中の親や子どもに寛容です。この寛容さは、人々が子育てする親の苦労や、子どもとはどんなものなのかを理解していること、そして何より気持ちに余裕があるからといえるでしょう。
今日も多くの母親が社会から「元気」をもらい、笑顔を取り戻しています。
クローディアー 真理