命あるもの、いつかは死が訪れる…頭では理解できていても、不慮の事故や急性の病などで大切な人を亡くすと、故人を取り囲む人間の悲しみは計り知れません。
また悲しみがあまりにも深い場合、時が経過しても簡単に癒えるものではありません。筆者は、5年前に大切な友人を亡くしました。享年22歳。亡くなった彼女の母親と親交を深める中で想うことがあります。
突然の病で短い生涯を終えた友人
筆者は、高校時代の部活動でバレーボールと出会い、35歳を過ぎた現在もプレーを続けています。学生時代の練習相手はほとんどが同年代の人間でしたが、社会人になってからは、歳が離れたプレーヤーと練習したり、試合に出場したりする機会も増えました。
そんな社会人になってできたバレー仲間のひとりに、性格やバレー以外の趣味など、筆者との共通項が多く、急速に仲を深めたA子がいます。出会った当時、筆者は30歳、A子はまだ20歳の大学生。10歳も年下の女の子でしたが、バレーが上手いだけでなく、建築家を目指す秀才かつ容姿端麗な彼女のことを心から尊敬していました。
先ほどから、文章が過去形になっているのには訳があります。実は、彼女は急性骨髄性白血病を患い、23歳で亡くなってしまったためです。病気の発覚から亡くなるまでの期間はたったの9ヶ月。しかし、その間ずっと床に臥せていた訳ではなく、順調に抗がん剤での治療を終え、無事に完全寛解となり、髪の毛が生えかけの坊主頭で元気にバレーの練習もしていたほどです。
しかし、その後、病の根を完全に断ち切るためにと選んだ骨髄移植がうまくいかずに亡くなってしまったのです。まさに青天の霹靂。「ちょっくら骨髄移植してくる!すぐに帰って来るから待っててね!」と言った彼女の笑顔が忘れられません。
他人だからこそ、聞き役になれた
A子の死の衝撃は凄まじく、A子の母親Bさんを悲しみのどん底へと叩き落しました。Bさんは大切な愛娘を亡くし、泣きはらし、そのうちに涙も枯れ果て、生きる気力を失っているように見えました。筆者はそんなBさんのことが気がかりで、A子が亡くなってから1年ほどは、A子の月命日にBさんに会いに行く生活を続けたのです。
Bさんは筆者が会いに行く度に、「あの時、骨髄移植を反対すればよかった」「なぜ未来ある23歳の子どもが命を奪われなければならないのか」「本当にできのよい可愛い子だった」などA子に対する後悔や想いなどを筆者に話してくれました。またBさんは、こうも言っていました。「〇〇(筆者)が来てくれると、いろいろ話せるから気持ちが楽になるわ」と。
A子の父親はすでに亡くなっており、Bさんの家族はA子の妹のCちゃんのみ。Bさんは、いつまでもA子のことを引きずっていてはCちゃんに申し訳ないと思い、家ではA子の話題を出さないよう努めていたそうです。だからこそ筆者のように血のつながっていない他人には、本音を吐き出せたのかもしれません。