筆者は、A子が亡くなって1年ほど経ったころに長男を出産、その約2年後に次男を出産しました。A子の命日には必ずお線香を手向けに自宅を訪問していましたが、自身の生活に精一杯で以前のようにBさんに頻繁に会いに行くことはできなくなりました。
そして、つい先日、A子が亡くなって5年目の命日に息子たちも連れてBさんに会いにいきました。その日はたまたま、Cちゃんが仕事に出ていたため、自宅にはBさんしかいない状況。最初は、息子たちのことや筆者の近況など、Bさんからいろいろな質問を受け、会話に花が咲いたのですが…筆者がA子の話題を出した途端…Bさんの顔色が少し変わったように感じました。
「あの時、なぜ骨髄移植に反対しなかったのだろう」「A子が最後に『もうダメかも…』って言った顔が忘れられない」「A子は本当に手のかからないよい子だった」などなど、A子が亡くなった当初に聞いていたことと全く同じことを話し始めたのです。そして最後に、「長い、本当に長い長い5年間だった」とも。
愛する子どもを若くして亡くすということ
人間は生まれた順番通りに死に行くのが最も自然で理想ですが、残念ながら不慮の事故や病気によって、若くして人生を終える人もいます。特に故人が若ければ若いほど、その親の悲しみは深いものになるでしょう。
実際に、23歳の愛娘を突然の病で亡くしたBさんと会話をする中で、子を亡くす悲しみはたった5年やそこらの年月では癒えることはなく、むしろ時間の経過によって後悔の念が膨れ上がり、悲しみが増大するということもあるのかもしれません。
A子の死から5年経ったにもかかわらず悲しみが癒えていないBさんを目の前にし、自らの生活に精一杯で、と言い訳をしてBさんに会いに行かなかった自分を責めました。A子を偲ぶことはいつでもどこでもできますが、Bさんの悲しみに寄り添うためには、やはり定期的にBさんに会いに行くべきだろうと考えています。そしていつか、Bさんが笑顔で自分自身の生活や将来のことを話してくれる日を楽しみに。
悲しみに寄り沿い“続ける”ことが大切!
わが子を亡くす悲しみは衝撃的に深く、そして長期間にわたって親を苦しめるでしょう。その悲しみは、他人には到底理解できるものではありません。しかし、他人だからこそ、悲しみに寄り添うことができる場合もあるのではないでしょうか。
もし身近に子どもや大切な家族を亡くした人がいたら、たとえ時間が経過していても悲しみが癒えていない場合もあるので、この機会にぜひ会いに行って、話をしてみてください。
上田 みどり