女性の社会進出が進んでいると言っても、その内訳はパート、アルバイト、派遣社員、正社員、自営業など、さまざまな働き方があります。

筆者はフリーランスでライターをしていますが、仕事柄、たくさんの人に会ったりいろいろな場所を取材したりしています。好奇心旺盛な自分に合った働き方をしているわけですが、先日、友人のDと仕事の話になり「いいね、楽しそうで」としきりに言われました。

子どもを幼稚園に入れているDは、家計のために平日は毎日5時間程、近所のコンビニでアルバイトをしています。Dは、「一応、仕事というかパートはしているけど社会で活躍していないからつまらない」と言うのです。

小学校に上がるまでは子どもと長く一緒に過ごしたいと、3歳まで保育園に入れずに専業主婦をし、3歳になってからは幼稚園を選んだD。少しずつ仕事をしたいとコンビニのパートを始めたものの、周囲には幼稚園の預かり保育を利用してバリバリ働いているママ友もいて、彼女たちの「家庭外で活躍している」姿を見るにつけ、自分に劣等感を覚えてしまっているとのことでした。

そんな中、筆者が世間話としてインタビューした有名人や仕事で訪れた話題のお店の話などをしたことが、Dにとっては「私は子育てしながらも仕事が充実していて毎日が楽しい」マウンティングに感じられたのかもしれません。

マウンティングだと思えばそうだし、思わなければマウンティングじゃない

マウンティングにおいて夫がどんな仕事をしているのか、年収はいくらかという基準しかないかつては、ある意味では妻たちの欲望や嫉妬が非常にわかりやすいものでした。しかし、生き方や家族の在り方が多様化している現代は、上記のようにさまざまなシーンで「あれ、これマウンティング?」と思う場面が増えてきたように思います。

自分と他人、生き方や考えが違うからこそ、そこに比較が生まれてしまうのは仕方がないこと。ただ単に自分の状況を話すだけで相手からはマウンティングと取られてしまうこともあれば、相手が何気なく言ったことを自分がマウンティングと受け取ってしまうこともあります。

自分と他人の違いを気にしすぎる人ほど、「隣の芝が青いのは当たり前」ということを念頭に置いて、自分のことだけを考えるようにすると、さまざまなマウンティングにいちいち傷つかずに済むのではないでしょうか。

秋山 悠紀