これは私の個人的な考えですが、“体罰”とは指導者の負担を軽くするための方法なのではないでしょうか。自分の思い通りに動かない生徒たちを手っ取り早く動かすには、“バシッ”と一発手を出してしまえば済むことです。思い通りにならないイライラを発散するのにも、体罰を利用してしまっている指導者がいるように感じます。

一方、言葉の力で生徒にきちんと自分の考えを伝えて理解させるのには、ある程度の時間と気力が必要になるもの。指導者が言っていることをすぐに理解して行動に移せる子もいれば、理解するのにも行動にするのにも時間がかかる子もいることでしょう。そのときだけを見れば、時間がかかりすぎて効率的でないように見えてしまうかもしません。しかし、指導されている側にしっかりと指導者の考えが落とし込めるのは後者のほう。

優秀な成績を収めるために雇われている監督やコーチもいるので、目の前の一戦一戦が大切だということもよくわかります。しかし、プレーするのは選手たち。そもそも問題行為である“体罰”という方法を使って楽をするのではなく、言葉を使ってきちんと自分で正しい判断ができる選手へと育ててもらいたいものです。

川西 まあさ