8050問題は、10年後には9060問題に!?ひきこもりが続き子育てが終わらない老後

今年の3月に内閣府によれば全国で40歳から64歳までのひきこもりが推定61万もいると発表していました。平成31年3月に発表した内閣府の「生活状況に関する調査」によれば、広義に意味での「ひきこもり」は以下の様に成るようです。

①趣味の用事のときだけ外出する人は推定24万8000人。
②近所のコンビニなどに出かける人は推定27万4000人。
③自室からは出るが家からは出ないと、自室からもほとんど出ないを合わせた人の推計は9万1000人。
これらを合わせると61万3000人になるそうです。

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80代高齢者の親とひきこもり状態の50代無職が同居する8050問題

調査結果によればひきこもりを始めてから7年以上になるという人が約半数もいるそうなので、かなりの長期化と言えますし、その間の生活は父母が支えている割合が34.1%だそうですから、親の負担は物心両面において相当な苦労だということが推定されます。

そこで問題視されている8050問題ですが、10年後には9060問題となってきますし、親世代が死亡すれば確実に生活保護受給者となることは想像されるわけですから、これを支える社会保障費は若い世代ということになれば、このしわ寄せは今後の社会問題となることは必須です。

少し古い話になりますが、2016年には新潟県三条市で70代の母親が自殺するという事件がありました。これは、ひきこもりの50代息子を殺害後に母親が自殺するという事件でした。部屋には遺書があり「夫の元へ息子と共に行く」と書かれていたそうです。

2017年12月には北海道札幌市で82歳の母親が寒さと飢えで死亡というのがあります。その後、長年無職でひきこもり状態だとされる52歳の娘さんも死亡するという事件が起きています。

ではひきこもりになったきっかけを調べてみますと、多いのは、「職場になじめなかった」「病気」「就職活動がうまくいかなかった」「不登校(小学校・中学校・高校)」「人間関係がうまくいかなかった」「大学になじめかった」「受験に失敗した」などがあるようです。

親の年金を当てにした身勝手な中年息子

そればかりか高齢の親を介護することもなく、親の年金を当てにして使い込むだけの中年息子の身勝手さも見受けられます。そのような息子を持つ高齢の親の焦燥感は相当なものがあるに違いありません。

その心配が6月に練馬で起きています。76歳の父親が44歳のひきこもり息子を殺害した事件です(父親が元農水事務次官)が、これなどは世間に大きな衝撃を与えました。

その前にも5月28日に川崎・登戸でスクールバスを待つ小学生を無差別に殺傷した事件がありましたが、犯人は51歳のひきこもり男性で伯父・叔母の家で生活を送っていました。

これらの事件は続けに起こった悲惨な事件だったので、社会的にもテレビでもクローズアップされましたので記憶に残っている人も多いと思います。
この犯人は自殺をしたので真相は分かりませんが、叔父・叔母から自立を促されていたのが動機ではないかと言われているようです。

このように悲惨な事件が、たて続けにあるとひきこもりの人に対する世間の目は厳しくなっています。そんなことから、コミュニケーション能力に欠ける人や、社会に適合できない人を、犯罪者予備軍のように見始めている人もあります。

そもそものきっかけの多くは社会に戻れなくなったことだ

内閣府の「生活状況に関する調査」では40歳から64歳のひきこもりの推計数は、61万3000人としているが、2015年度に同じ条件で調査した15歳から39歳のひきこもり推計値の54万1000人とを合わせますと、何と約100万人を超えるひきこもり当事者がいる計算になるそうです。

ひきこもりのきっかけは、疾患や障害を発症する事例はあるものの、社会的構造とか人間関係の問題から社会に戻れなくなった事が原因の場合が考えられます。例えば、社会が期待する「レール」から事情により外れてしまったとか、求人に応募したが何度も続けて落とされるといった例も目立つようです。

あるいは就職はできたが非正規や派遣、ブラック企業といった実態から脱出したいと、あえいでいる働く世代も多いようです。その中でも中高年当事者の約4分の1を占めるのが、40~44歳の人達だと言われており、いわゆる彼らは「就職氷河期」の2000年前後に大学を卒業はしたが就活の失敗などで、ひきこもり状態となった人達だと言われております。

彼らも親の年金から自立しないといけないと考えている

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高校時代は水泳部・ボクシング部・サッカー部と転籍するもその後は
好きな空手道をしながら最後は性格的に合う応援団で活動する。
 
都内の私立大学卒業後は青色申告会に就職をしその後は故郷で仕事の傍ら
空手道場を運営する。
 
損害保険会社を退職してからはサラリーマン時代に
経験したビジネス感覚と空手道を通して学んだ我慢・忍耐・辛抱の経験を
活かした庶民感覚の目線を切り口としたWEBライターを始める。