最大多数の最大幸福という言葉があります。一見すると正しいようですが、「少数者は我慢しろ」ということになりがちなので、難しい問題ですね。「民主主義だから多数派の横暴が通るべき」ということではないでしょうから。

少数の高齢者だけが暮らす山間部の寒村について考えてみましょう。「生まれ育った土地で暮らしたい」という人を強引に引っ越させるわけには行きません。しかし、彼らのために道路や水道管を補修したり郵便を届けたりするコストは、平野部の人々が税金や郵便料金等の形で負担しているわけです。

そうであれば、「平野部に引っ越してくれれば、立派な家を用意するし生活費も支援するが、山間部に住むのなら、高い電気料金や水道料金を負担してもらう」といった「飴と鞭」による引越誘導策をとるべきでしょうか。

あるいは「かわいそうな高齢者のために、引き続き道路補修などを続けてやれ。そのためなら、俺たちが使っている図書館を閉鎖しても構わないから」といった選択を平野部の住民がするのでしょうか。

民主主義ですから、平野部の住民の投票で決まるのでしょうね。一人一人が真剣に考えて投票してもらえれば、と思います。

金銭面のみならず、労働力の配分も重要

バブル崩壊後の長期低迷期には失業者が大勢いましたから、山間部の道路補修等は「失業対策の公共投資」だと考えることも可能でした。

しかし、今後は少子高齢化による労働力不足の時代を迎えますから、「山間部の道路補修は、平野部における図書館建設資金と競合するのみならず、平野部における介護施設の労働力不足とも競合するようになる」のです。

それでも「山間部の道路補修は何としても続けろ。図書館も介護施設も要らないから」と平野部の人が言うのか否か、難しい問題です。

本稿は、以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、厳密さより理解の容易さを優先しているため、細部が事実と異なる場合があります。ご了承ください。

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塚崎 公義