緑が豊かに残るどころか家が緑に包まれているような場所で、のどかな環境なのは私好み。そして多分これが値下がりの主因かと思われるのですが、6軒ほどが並び立つ分譲地の隣りは墓地でした。

私は内心「やった!」と小躍りしました。墓地のおかげで安くなっているのなら大変ありがたいではないですか。縁者じゃなくてもお墓参りしたいくらいです。

由緒ある美しいお寺の立派な霊園。恨めしそうな雰囲気は全くありません。当然のごとく夜は静か、子どもが騒いでもクレームが来ることはないでしょう。墓地をつぶして日当りや通風を遮るような建物も建つこともないでしょう。もともと地球上は生命の死骸の体積物でほぼ埋まっていると考えれば、特に墓地のみ忌み嫌うこともないのでは?

しかし、問題はあったのです。販売住宅のベランダから左手に墓地が見えます。右手には数件の分譲住宅が連なるのが見えます。墓地も住宅も、規則正しく並んでいます。

「並び方が一緒だな……」

さらによく見ると、お墓はみな同じように見えますが墓石の色、形などが微妙に異なります。対して分譲住宅は窓一つ、壁の色一つ違いがありません。全て同じ。

分譲地にはまだ住人もいないので生彩を欠いているからかもしれませんが、ここ(住宅)とあそこ(墓地)があまりにも似通っていて、それどころかまだ墓地のほうが個性があるという、なんとも諸行無常な気分を味わってしまったのでした。

無常が身にしみて購入に至らず

しばしば耳にしたことがある「結婚、住宅購入は人生の墓場」という言葉。もちろん誇張的な皮肉であります。が、以降ここに縛られ、このために残りの人生を費やすのだと思うと、シニカルな気分になるのもわからないではありません。

しかも人は死んでからも(当然ですが)墓場を必要とし、多くの人が死後入る手頃な墓を生前に購入します。ああ、死後さえも自由は訪れないのでしょうか……?

生前の「墓場」と死後の墓。お寺の鐘の音に見送られながら、私達は見学場所を後にしました。

「夢のマイホーム」購入という心浮き立つお話にしたかったのですが、初回から薄暗い内容になってしまいました。次回からは夢いっぱいの物語が始まります、かどうかは乞うご期待。

シマダマキ