元からヒールのない靴を好んでいるのに、「妊娠中だからヒールじゃないんだね」と言われるようになりました。昔からグレープフルーツが好きなのに、「妊娠したから食べるんだね」とも言われるのです。

産後、赤ちゃん連れで歩いていると、「あら~赤ちゃん! 可愛いでしょう? 母乳なの?」と話しかけられます。母乳ですと答えると「偉いわねぇ、やっぱりそうじゃないとね。お母さん頑張ってるわね」と「母親たるものかくあるべき」という中で会話が進み、「良妻賢母であるべきよ」といった無言の圧力を感じます。

他にも「女性は家庭に入って家族を支えるもの」「女が仕事をしたいなんてワガママ」「夫の健康管理やお世話も妻の仕事」「男性は変わらないから、女性が努力を」「夫に子どもを見てもらったら感謝を」などなど…数多くの価値観に出会いました。

世間一般にある「良き母親像」「良き妻像」と、何よりも「良き母親像を強く求めるその姿勢と威力」に、とても驚きました。

女らしさは、自分の頭で考えてつかみとる

女らしさが苦手だからといって、女らしさを拒否しているわけではありません。3人の子がいますが、今の時代でも2歳までは手元で育てたいという考えです。

ただ、「母親だから」そう決めたわけではありません。第一子を育てる中で「自分の考えや感情」が変わり、「自分はこれがベストだと思うから」決めたわけです。

結婚も9年目に入り、男の子2人と女の子1人を育てながら、男女の違いを実感することも増えてきました。長らく「男女平等派」でしたが、妊娠・出産は女性しかできないですし、「男女不平等を踏まえたうえで男女平等を考えるべき」と思考も変わりました。

男女は違うけれど、周囲から「母親だから」「妻だから」「嫁だから」とイメージを押し付けられて従うのと、自分で経験し、自分の頭で考え、試行錯誤してつかみとっていくのでは、180度違うものです。

「らしさ」を押し付けられ、求められることは、非常に重苦しいものです。特に結婚当初や初めての子育てでは、初めてだからできなくて当たり前なのに、「良き母親像」のせいで悩む女性も少なくありません。

一方で自分でつかみとっていくと、「女らしさ」もしっくりくるもの。育児も家事も楽しめるようになりますし、長らくピンクを身に着けることのなかった筆者も、30代半ばにしてピンクの服や小物を楽しむようになりました。

人間は未熟であり、成長し続ける生き物です。その人なりの「母らしさ、妻らしさ、嫁らしさ」を試行錯誤してつかみとっていく一人の人間を、暖かく見守れる社会であってほしいと望みます。

宮野 茉莉子