ある日、娘と一緒にお風呂に入っていたらふと娘がこんなことをもらしました。「○○ちゃんは、お友だちがた~くさんいるんだって。100人くらいいるんだって。いいな。私はお友だち、そんなにいないから、うらやましいな」。

深刻な顔をしている娘の姿がとても微笑ましく、愛おしく感じながら私はこう答えました。「友達がたくさんいるのは確かにいいこと。でも、たくさんいないことが悪いことではないんだよ」

友達と知り合いは違う

さて、「友達」とはいったいどのような存在の人を示すのでしょうか? たまに一緒に遊んで、世間話をする人のこと? 一緒にいて楽しいと思える人のこと? はたまた、同じような境遇で気の合う人のこと?

私たちは人生でさまざまな人間関係を構築します。家族から始まり、幼なじみやクラスメイト、同僚、そしてママ友…。そのときそのときのタイミングで、同じ時間を共有する仲間と出会い、そして、時が来ればそれぞれの道に分かれ、またあらたな仲間を見つける…。

若いときはそんな仲間のことを「友達」と称していたけれど、年を重ねていくと気付きます。彼らは「仲間」ではあるけれど、決して「友達」ではない。真の友達、真の友情は、数えるくらいでじゅうぶん事足りるんだ、ということを。

真の友達とは、出会えてよかったと思える人

筆者が今、心から「この人こそ真の友達だ」と言える存在は、片手で数える程度です。今まで色々な人と出会い、その瞬間には「この人とは一生仲良くいられる気がする」なんて思ってみたものの、生活環境や物の考え方が変わるにつれ、その人とも疎遠になり…を繰り返した結果、今現在の人数で落ち着いたような気がします。

何かの縁があって出会った人と、良好な関係を持ち、長くつながりたいと思うのは当然だと思いますし、ひとりでも多く自分を理解してくれる人、頼りになる人が欲しい、と思うのも当然だと思います。でも、たいてい、そう上手くはいかないもの。

どこか自分が無理をしてしまったり、また相手に無理をさせてしまったり…少しずつ歯車が狂ってしまい、信じていた分だけ酷く傷つき、悩んでしまうこともあります。そんなときに「私には友達がいない。私を理解して、好きになってくれる人なんていない」と思ってしまいます。

実際はそんなことないんですけどね。世界中でたったひとり、たったひとりでも自分のことを理解し、心の一番近いところに寄りそってくれる人がいるのならば、それだけでじゅうぶん「友達に恵まれている」と言えるのだと思います。

「そんな人なんていない」なんて言う人も、思い返してみてください。「この人に会えたことは、私の人生の財産だ、この人に出会えてよかった」と思う人はいませんか?

「出会えてよかった、と心から思える人」その人こそ、真の友達です。そして、そんな人に出会えるのは、何も若いときとは限りません。60歳で出会った人と意気投合し、その後死ぬまでお互いに素晴らしい友情を構築した…というケースだってあるのです。

筆者が娘に語ったこと

「友達が少ない」と悩む娘に筆者はこう言いました。