ゲノム解析とゲノム編集で私たちのくらしはどう変わるのか

「ゲノム解析」と「ゲノム編集」に起こった技術革新

前回の記事ではゲノム解析とゲノム編集に起こった技術革新について、とりわけ次世代シークエンサーの登場や新たなゲノム編集技術であるCRISPRの発見により、劇的にコストが低下すると同時に作業スピードが大幅に向上し、活発な研究が行われていることについてお話ししました。

本記事では、両技術を活用して現在研究開発が進められているいくつかのエリアについて、私たちの生活にどのような事が起ころうとしているのか?について調べてみます。

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ヘルスケア分野

まず一番初めに思いつくのはこの分野でしょう。

現在の医療の多くは、すべての患者に画一的な治療法を行うことを前提としており、病気の根底にある原因を治すというよりは症状に対処するものが中心です。しかしゲノム解析により人体の仕組みに対する理解が深まれば深まるほど、医療が一人一人に合わせてパーソナル化され、遺伝性が疑われる癌や希少遺伝疾患のように遺伝的要素が強い難病の治療が可能になることが期待されます。研究者が現在まさに取り組んでいるのは、従来の治療法では症状に対処するしか方法が無かった領域です。

たとえば、ゲノム編集技術であるCRISPRを応用した治療として初めて実用化される可能性が高いのは、キメラ抗原受容体発現T細胞(CAR-T)療法でしょう。これは個人の免疫細胞を利用して、健康な細胞を損なわずにがん細胞のみを標的として死滅させる免疫療法の一種です。FDA(米国食品医薬品局)は2017年に血液がんに対するCAR-T免疫療法の2手法を認可しましたが、現在開発が行われている次世代CAR-Tでは革新的なゲノム編集技術であるCRISPRを活用して、より安全かつ有効性が高い治療法の開発が見込まれます。

さらにCRISPRは遺伝的変異の修正や治癒においても大きな可能性を秘めています。現在までに、科学者たちは約10,000種類の単一遺伝子疾患(単一の遺伝子のエラーによって引き起こされる疾患)を特定しています。

個々の疾患が珍しいことから現時点で治療法が存在する単一遺伝子疾患はごくわずかであり、歴史的に治療の焦点は症状への対応に置かれてきました。しかし、現在様々な企業がCRISPRを用いた各種遺伝疾患の治癒に取り組んでおり、欠陥のある遺伝子を修正することによって遺伝子やタンパク質の正常な働きを取り戻させる方法-つまり症状への対応ではなく治療-に取り組んでいます。

ヘルスケア以外の分野

ゲノム関連技術の活躍が期待されるのはヘルスケア分野だけではありません。

たとえば、農業や畜産業、漁業における活用です。家畜や農作物の飼育・栽培手法が進化してきたおかげで、過去1世紀の間でこの分野は非常に大きな進歩を遂げました。しかし、現在人類が直面している人口増加問題への対処の必要性は言うまでもなく、食に関するニーズや好みの変化や多様化、気候変動による耕作面積の縮小など、収穫量の増加やより栄養価のある農産物に対する需要は急速に高まっています。

米国の運用会社アーク・インベストメント・マネジメント・エルエルシー(ARK社)によれば、ゲノム解析・編集技術を活用することにより、現在下記のような付加価値を持つ農作物や畜産動物開発が行われています。

  • 特定の病気への耐性を持った家畜
  • 脂肪分が少ない豚
  • より多くの乳量を産出する牛
  • 農薬が不要で天候や害虫などに耐性を持つ作物
  • 味や栄養価の改善
  • アレルギー物質を含まない作物
  • 病気に抵抗力を持つ魚
  • 餌から効率よく栄養素を吸収する成長スピードが速い魚

次に挙げたいのが、DNAをストレージ(外部記憶装置)として活用するという技術です。DNAは安定した構造を持ち、熱安定性が高く、長期にデータを保存することができる記録メディアとしての有用性が唱えられています。たとえば人の細胞はそれぞれ32億塩基対の遺伝子コードを備えていますが、DNAはこの膨大な量のデータを極めて小さいスペースに格納する強力な保存装置としての役割を果たしています。その為、長い間科学者たちはヒト細胞内でのデジタルデータの保存に向けて取り組んできました。

米国ブロード研究所の科学者たちは、CRISPRを用いて生きた細胞に特定かつ任意の配列を記録することに成功しています。IoT技術の進展により、私たちが生み出すデータは指数関数的に増加しています。その莫大なデータをどこに保存するのか?という課題に対して、将来的にはDNAストレージが使われるようになるかもしれません。

規制とイノベーション

ゲノム編集や解析を用いたイノベーションは、人間の疾患治療・予防やより生産性が高い食糧供給など多岐にわたります。

現時点で行われているヘルスケア分野における初期段階の研究や進展は非常に有望ではあるものの、人の命にかかわる医療研究は長期間かかり、高額かつ細心の注意を要するプロセスです。他の治療法がそうであるように、ゲノム編集の有望な応用事例はすべて、日常で使用される前に慎重な安全確認が必要なため、規制に基づいた厳しい臨床試験を行う必要があるでしょう。

農作物については今年3月に米国農務省がCRISPRなどによるゲノム編集作物について設計・栽培・販売に規制をかけない方針を表明しました。遺伝子組み換え作物(GMO)とは異なり、CRISPRによるゲノム編集は、植物が生まれ持つゲノムを他の植物や動物からの外来遺伝子を導入することなく「編集」します。そのため、ゲノム編集作物は同種、または交配可能な近縁種を用いた編集である限りにおいては品種改良の一種とみなされ、規制の対象とはなりません。この発表により、長い時間と多くの費用がかかる規制手続きを経ることなく研究開発が可能となり、今後農作物市場におけるイノベーションが加速していくものと考えられます。

一方で家畜等の動物分野においては、FDAが2017年に公表した指針案において、「意図的に遺伝子編集された」動物については規制当局の認可が必要とする考えを示しており、商用化はもう少し先になりそうです。しかし、すでにゲノム編集動物に関する指針が存在することにより、安全性や倫理面での議論の成熟とともに規制緩和の可能性が高まることが想定されます。

まとめ

現在進行中であるゲノム解析・編集技術の躍進はまだ始まったばかりであり、今後急速に進化を遂げていくと予想されます。最近まで、ゲノム解析のビジネス的な価値は必ずしも高い状態にはありませんでした。しかし、CRISPRの登場により、ゲノム解析データを活用して遺伝子の機能を調べ、編集を行えるようになったことで、解析技術の価値も劇的に高まったのです。

CRISPRは科学を誰もが手の届く存在に変えつつあり、疾患や健康に対する人々の見方を変えつつあります。これまでのところ、人類はゲノム解析と編集に成功しています。この流れにおける次のステップは、DNA合成を通じた「作成」であるとARK社は予想しています。革新的な「編集」技術の登場により「解析」技術の価値が大きく変わったように、「作成」技術によって「編集」の価値も高まるのかもしれません。多くの臨床試験や研究開発が実施されており、将来ゲノム編集技術が活用される可能性がある領域は増え続けています。今後注目するべき分野だと思います。

(本稿は、執筆日時点において、世界保健機構(World Health Organization)が公表している情報やARK社が公表しているWhite Paperなど、信頼できると判断した資料・データをもとに執筆したものです。本稿は、日興アセットマネジメントが運用するファンドにおける保有・非保有および将来の銘柄の組入れまたは売却を示唆・保証するものではありません)

千葉 直史

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千葉 直史
  • 千葉 直史
  • 日興アセットマネジメント株式会社
  • シニア マネージャー

三菱UFJモルガン・スタンレー証券で国内投資家向け営業や商品戦略企画に携わった後、米国Morgan Stanleyにてマネージド・アカウントのプログラムマネージャー、ミューチュアルファンドやSMAのリサーチアナリストを歴任。その後、三菱UFJモルガン・スタンレー証券にてデリバティブ商品のマーケティング業務に携わる。

2014年より現職。国内外の個人投資家、機関投資家向け新商品の立案・開発及びマーケティングを担当。