何かを始めようとすると必ず邪魔が入る、自分の気持ち優先で、自分の都合優先で動くことができるのは、いったいいつなんだろう…。ゆっくりお風呂に入りたい、朝までぐっすり眠りたい。やりたいことを挙げていけばキリがない、いちど愚痴をこぼすととまらなくなる…。
子育て中のママはそんな思いで日々を過ごしていることでしょう。でも、そんな戦場のような毎日に笑顔と幸せをくれる存在、それもまた子どもなのです。
「ママが作るからいいの」
料理が苦手、掃除もイマイチ得意じゃない、お裁縫なんてもってのほか…。そんな筆者の子育ては、挫折と劣等感の連続でした。
誕生日に美味しいごちそうやケーキを作ってあげられるわけでもなく、お家をキュートなバースデー仕様にデコレートできるわけでもない。子どもに手作りの服を着せてあげることもなければ、お弁当はなんだか茶色のいわゆる地味弁…。
周りのママは、子どもに手作りのお菓子を作ってあげたり、通園バッグやお弁当箱を入れる巾着をセンス良く手作りしてあげたり。
「これ、ママが作ってくれたの!」と嬉しそうに見せてくれる子どものお友だち。そのクオリティの高さに「すごいね!」と感嘆の声をあげながらふと思う、「可愛いものが大好きな娘、きっとこんなのを作ってほしいんだろうな」。
ある日、娘に「ごめんね、ママ、作ったりするの得意じゃなくて」
すると娘は言いました。
「ママのご飯美味しいよ。私、ママのご飯が一番好きなんだよ? 知らなかったの?」
あぁ、そうか…。子どもにとって「可愛く作る」「オシャレに作る」のが大切なのではない、「ママが作ってくれること」が大切なのだ、と気づかされた瞬間でした。
それから、すっと気持ちが楽になったのを覚えています。「どんな形であれ、私が作ることで娘は喜んでくれるんだ」、そう思えるようになったからです。
縫い目が不ぞろいで不格好な雑巾を、「作ってくれたの? ありがとう!」と大切に園バッグにしまった娘。
ただ、ひとつに結わえただけの髪を「これ、ママが結んでくれたの」とお友だちに自慢する娘。
「あぁ、失敗した」と思う間もなくできあがった不格好な作品を、娘が心から喜んでくれるおかげで、筆者は劣等感から少しずつ開放されていくのを感じました。
大人だって、誰かに褒めてもらいたいもの。何かをしてあげた見返りを求めるわけではないけれど、多少は感謝してほしいもの。
「誰も私がしたこと、私ががんばっていることに気にも留めないんだ」と心を閉ざしていた私に、真っ直ぐ手を差し伸べてくれるのは、他でもない娘だったのです。
嘘のない素直な言葉たち
何かあるとすぐに「ママ大好き」「ママ、ありがとう」と言ってくれる我が子。それこそ毎日のように、「大好き」「ありがとう」の嵐を浴びている方も多いのではないでしょうか。
何度も何度も繰り返されるその言葉に、元気をもらって「明日からがんばろう」と思える。子どもの口から発せられる愛の言葉は、どうしてこんなにも力をくれるのでしょうか。
それはきっと、そこに「偽り」がないから。ママに笑ってほしい、ママにもっと愛されたい、そんな気持ちが痛いほど伝わるからこそ、あたたかい気持ちになれるのかもしれませんね。
筆者の知り合いが、ふとこんなことを言いました。
「なんだか今、息子といると、大恋愛をしているような気持ちになるの。今までの人生で一番の大恋愛を」
「好き」の気持ちをストレートに惜しみなく表現してくれる我が子。筆者も、折りに触れ子どものことを「こんなに誰かを愛したことはない」と感じることがあります。そして、それよりももっと実感するのが「今までこんなにも誰かに愛されたことがない」ということ。
つないだ小さな手から、「あぁ、この子は私を心から信用しているのだな」ということを感じ、とても愛おしい気持ちになるのです。
ママだって人間、心に余裕がないときだってあります。子どもに優しくできないときや、子どもに笑顔を向けてあげられないとき、どうしても冷たくあたってしまうときもあります。
「こんなはずじゃなかったのに、こんな態度をとりたいわけじゃないのに」と感じることも多いでしょう。
そんなときは、すぐに子どもに「さっきはイライラしてごめんね」と謝ってみてください。きっとすぐに「いいよ!」
という返答が返ってくるはずです。
子どもってママに対しては、海よりも広い心と深い愛情を持っているんです。
あなたは決してひとりじゃない
子育て中は、いともたやすく孤独感にさいなまれてしまいがちです。「どうせ私なんて」「なんで私だけ」という思いが心を襲ってきたら、すぐに子どもに「ねぇ、ママのこと、好き?」って聞いてみてください。きっと即座に「うん、大好き!」という言葉が返ってくるはずです。
そして、その言葉があなたを元気にしてくれるでしょう。あなたはひとりじゃありません。すぐそばに、あなたを一番愛してくれる存在がいるのです。
大中 千景