最低賃金の引き上げは、不況期には悪い政策だが、労働力不足なら良い政策だ、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は説きます。

弱者保護が弱者のためになるとは限らない

弱者を保護しようという意図で、法律などが作られることがありますが、それがかえって弱者を苦しめてしまう場合があります。たとえば、女性の深夜労働を禁止する法律を作ると、「それならば男性を雇おう」という会社が増えて、女性が雇ってもらえなくなる、といった場合です。

最低賃金についても、弱者のための法律ですが、これが弱者を苦しめる可能性は否定できません。時給800円でも働きたいという労働者がいて、時給800円なら雇っても良いという会社があったとしても、「時給1000円以上」といった最低賃金が定められると、結局その労働者は仕事にありつけなくなってしまうかもしれないからです。

特に、不況で失業者が大勢いる時には、「失業しているよりはマシだから、時給が安くても働きたい」という労働者が大勢います。そうした状況では、最低賃金は雇う側にとっても働きたい労働者にとっても、迷惑そのものです。

しかし、現在のような労働力不足の時代には、最低賃金は労働者の心強い味方かも知れません。場合によっては、雇う側の味方でもあり得るでしょう。

労働力不足というのは需要と供給が均衡していない状態

経済学の基本は、「価格は需要と供給が一致するところに決まる」ということです。これを賃金に当てはめると、「賃金は求人数と求職数が一致するところに決まる」ということになります。

これを裏から読むと、「正しい賃金(以下、均衡賃金と記します)がわかれば、その賃金で求人と求職がマッチングするので、失業も労働力不足も起こらない」ということになります。「パソコンのできる人の求人と、パソコンのできない人の求職」といったミスマッチは起こり得ますが、それについては本稿では考えないことにしましょう。

さて、世の中は、大変な労働力不足だと言われています。つまり、均衡賃金が実現せず、均衡賃金以下の賃金での求人が数多く出回っているが、それに対して応募がない、というのが現状なわけです。以下では、仮に均衡賃金は1000円なのに、世の中では800円が普通だ、ということにしましょう。

労働力不足は、多くの人が不幸な状態

世の中の賃金が均衡賃金を下回っているとすれば、そうした賃金で労働者を雇えている企業にとっては素晴らしい状況でしょうが、そうした賃金で雇われている労働者は、本来ならば受け取れていたはずの賃金よりも安く雇われているわけですから、不幸です。

最低賃金が800円から1000円に引き上げられると、彼らの間では「ゼロサム」です。労働者が嬉しい分だけ企業が悲しいからです。しかし、それは良いことです。「正しい」賃金が実現したからでもありますし、賃金が上がれば企業が省力化投資に励むようになり、日本経済全体が効率化する、といったことも期待できるからです。

雇いたいのに、求人しても応募がない会社のなかには、「1000円でも雇いたい」という会社も多いでしょう。そうした会社は、1000円で求人すれば、失業者を雇うこともできるでしょうし、他社から労働者を奪い取って来ることもできるでしょう。

なぜ、そうしないのか。世の中は経済学の教科書ほど単純ではないので、今の均衡賃金が何円なのか、誰も教えてくれないからです。「1000円出しても雇いたいが、800円でも雇えるだろう。800円の求人票を出しておいて、応募が来るのを待とう」という「誤った」考えの会社が多いのです。

そうした場合、「時給1000円なら働いても良い」という労働者は、失業したまま放置されてしまいます。それは、お互いにとって不幸なことです。

最低賃金が800円から1000円に値上げされれば、企業としても諦めて1000円の求人を出すでしょうし、そうなれば失業していた労働者も仕事にありつけるでしょう。これは、お互いにとって素晴らしいことです。

次の不況期に最低賃金を引き下げる勇気が必要

現在は労働力不足であり、均衡賃金が実勢賃金を上回っています。そうした状況では、最低賃金を引き上げて実勢賃金を均衡賃金に近づけることは有益なことです。しかし、将来景気が悪化して、均衡賃金が低下して最低賃金を下回り、失業が増加した場合には、最低賃金を引き下げる必要が出てきます。

それは、政治的には容易なことではありません。最低賃金の引き下げは、たとえ経済学的には正しいとしても、おそらく評判の悪い政策となるからです。

しかし、ぜひ勇気を持って引き下げてもらいたいものです。もしも、「将来、最低賃金の引き下げが必要になっても、引き下げは難しいだろうから、今は引き上げるべきだが、やめておこう」ということでは悲しいですから。

必要に応じて上げ下げできる、柔軟な最低賃金のシステムが求められるわけですね。

本稿は、以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、本稿は厳密性よりも理解しやすさを重視しているため、細部が事実と異なる場合があります。ご了承ください。

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塚崎 公義