2度の震度7を記録した熊本地震からもうすぐ2年
死者258人(注)、負傷者約2,800人を出した一連の熊本地震から、もうすぐ2年が経過しようとしています。一時は最大18万5千人弱が避難生活を余儀なくされた熊本地震は、2回にわたる震度7の激震が熊本県内の多くのインフラ設備に甚大な被害をもたらしました。
その被災した建築物の中で、最も大きな被害の1つが熊本城です。
注:震災関連死を含む
加藤清正が築城した熊本城も甚大な被害を受けた
熊本城は1607年に加藤清正が築城した城で、当時の最先端技術と膨大な労力が投じられました。その後、西南戦争の舞台となった際に一部が焼失したものの、第2次世界大戦でも大きな被害を受けず、何度かの大改修を経て今日に至っています。
また、多くの城門や堀が国の重要文化財に指定され、城跡は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されています。日本を代表する城の1つであり(日本100名城の1つに選定)、その外観の美しさは、世界遺産の姫路城(兵庫県)に勝るとも劣らないと言われます。
確かに熊本市内の中心部から見上げる城姿は、まさしくシンボルと言うにふさわしいものがあります。
熊本城は西南戦争の戦いの場でもあった
400年以上にわたる熊本城の歴史で、最大のハイライトの1つが西南戦争の舞台(戦場)となったことでしょう。
日本最後の内戦と言われる西南戦争(1877年)では、熊本城が政府軍の重要拠点となり、西郷隆盛率いる西郷軍(=反政府軍)の攻略を跳ねのけ、以降の勝利を決定的なものとしました。
現在放映中のNHK大河ドラマ『西郷どん』でも、終盤には熊本城を攻めあぐねる場面があると思われますが、このドラマの重要なシーンになるのではないでしょうか。
熊本城の復旧費用は約634億円
その熊本城も、2016年発生の熊本地震では甚大な被害を受けました。震災から5カ月後の2016年9月に発表された試算によれば、復旧費総額は約634億円に上り、完全復旧まで25年程度を要するとされています。
熊本城の場合、建築物の被災もさることながら、江戸時代に築かれた石垣の多くが崩壊しており、この復旧に多額の費用と膨大な時間がかかるという厳しい見通しでした。
「熊本城復旧基本計画」では天守閣の復旧が最優先
そして今般、筆者が熊本市に滞在中だった2018年3月28日、その後の被害状況や復旧計画の精査を経て「熊本城復旧基本計画」が正式に制定されました。既に天守閣などは復旧工事が進んでいますが、熊本城全体の復旧計画としては初めてのものです。
その計画では、県民・市民の復興シンボルとして「天守閣」の復旧を最優先しているのが特徴です。現時点では、2019年秋頃に大天守の外観復旧、2021年春頃に天守閣全体の復旧完了を目指すとなっています。
既に2016年から工事が実施されていることを勘案すると、天守閣全体の復旧だけで5年弱の期間を要することになります。
復旧には20年、2038年度完了になる予定
そして、城門や石垣など全てを含む熊本城の完全復旧完了は2038年度、つまり20年間を要する計画となりました。
今後も余震が起きる可能性が高い中、安全性を優先し(耐震工事の追加など)、なおかつ歴史的な建造物(石垣含む)を可能な限りそのままの形で残すためには、膨大な時間が必要のようです。改めて、今回の震災被害の大きさと、歴史的建造物の維持管理の難しさを実感せざるを得ません。
20年後の自分は? そして日本は?
今回策定された「熊本城復旧基本計画」を見て、20年後の自分自身の姿を想像した人も少なくなかったでしょう。筆者も“20年後は何をしているのだろう?”だけでなく、“20年後の日本はどうなっているのだろう?”ということも考えてしまいました。
熊本城が完全復旧する20年後の日本が、明るい希望に満ちた社会であることを切に願います。
伝統の技術を後世に伝える、と意気込む職人
1つ印象に残ったのが、地元のテレビ番組で、ベテランの左官屋さんが若い見習い職人に自らの“匠の技術”を伝授するというものでした。そのベテラン職人が「残念だけど、自分は20年後には生きていない。熊本城復旧のためにできることは、自分の技術を伝えることだ」と言っていたのが忘れられません。
その番組を観て、“20年後に自分は生きているのだろうか?”と考えた人も多くいたはずです。筆者もそうでした。それと同時に、20年後の完全復旧をぜひ見たいという気持ちも強まりました。
LIMO編集部