バブル期より今の方が生活が豊かだ、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は説きます。

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先日、『今の生活はバブル期より豊かだと、GDP統計を見て気づく』を寄稿したところ、有難いことに多くの方にお読みいただき、多くのコメントをいただきました。筆者としては、「バブル期より豊かなはずがないだろ」といったご批判を予想していたのですが、意外なことに「当然のことを今さら」といったご批判も多く、チョット意外でした。「今の方がバブル期より豊かだ」と思っている人も多いのですね。

そんな中で、「実質GDP統計の個人消費が大きいということは、生活が豊かだということなのですか?」というご質問をいただきましたので、解説しておきます。結論を先に記せば、「様々な例外はありますが、大雑把に言えば、そう考えて良いでしょう」といったところです。

バブル期との比較では、実質GDPが増えれば豊かと言える

バブル期の庶民は、10万円で低画質テレビを買っていたとします。バブル期に100万円だった超高画質テレビが今なら10万円なので、庶民の皆が買っているとします。この場合、庶民がバブル期より豊かな生活を送っていると言って良いでしょう。

名目GDP統計としては、バブル期も今も10万円の消費ですが、実質GDP統計は物価上昇率(本件では10分の1に下落)で割り戻すので、実質GDPは100万円に10倍増したことになります。生活が豊かになったことが、実質GDP統計に反映されるのです。反対に言えば、実質GDPが増えているならば、生活が豊かになっているはずだ(画質の良いテレビ等を買っているはずだ)と言えるわけです。

前回の記事では、「バブル期にはスマホがなかったのに、今はある」と記しましたが、これは「当時高価だった自動車電話がガラケーになり、ガラケーがスマホになり、そのたびに実質GDPが増えていった」という計算になっているわけです。自動車電話だけではなく、カメラも音楽プレーヤーも百科事典もコンピューターも、様々な物を買うために必要だった費用全部が今ならスマホ1個で済むわけですから、猛烈な物価下落(つまり猛烈な実質GDPの増加)ですよね。

GDP統計に表れない豊かさも増加

読者からのコメントで、「GDPに表れない豊かさも享受しているはず」というものがありました。GDPはフロー(その年に買った物)ですが、ストック(過去に買った物も含めて、今使っている物)が豊かさを決めるから、というものです。その通りですね。

毎年新しい耐久消費財を買うとします。2年前はエアコン、昨年はテレビ、今年は食洗機を買ったとします。毎年の個人消費額は一定ですが、生活は豊かになっています。極端を言えば、今年は何も買わなければGDPは2年前より小さくなりますが、生活の豊かさは2年前より上ですから。

耐久消費財に限りません。住宅も道路も、新しく作られた物だけでなく、過去何十年の間に作られたものをすべて利用して豊かに暮らしているのです。

今ひとつ、最近増えてきた中古品売買も、GDPに反映されない豊かさをもたらしています。GDPは国内総生産ですから、「作られたもの」を測る統計です。「作った以上は使われるだろうから、使った物を見れば作った物がわかる」ということで、使ったものの統計をGDPに使っているということなので、中古品の購入はGDP統計には載らないのです。

シェアリングエコノミーも、GDPは増えずに生活を豊かにしてくれています。各自が自動車を買えばGDPは大きくなりますが、シェアすればGDPは小さくなります。しかし、生活の豊かさは、それほど変わらないでしょう。そうなると、「GDPは小さくなったけれども生活の豊かさは落ちていない」ということになるわけです。

反対に、惣菜が売れるようになると、GDPが増えても生活の豊かさは変わらない、ということも起こり得ます。自分で料理すればGDPは増えませんが、総菜屋が料理して売れば、料理人の給料等がGDPに載るからです。もっとも、ここは「主婦が働きに出るようになり、家事をせずに惣菜を買うようになったのだ。主婦が働いて稼いで消費をすれば、GDPは増えているはずだ」と考えておきましょう。

通勤時間が短くなったことも重要です。バブル期は、都心近くに家が買えないサラリーマンたちが、遠方に家を購入して長時間通勤を余儀なくされました。最近では、都心のマンションに住むサラリーマンも増えています。ここで問題なのは、通勤の交通費はGDPを増やす要因だ、ということです。個人消費ですから、観光旅行に行く交通費と同じ扱いになるわけです。決して旅行ほど楽しいものではありませんが(笑)。

通勤時間が短くなると、GDPは減るのに、生活の豊かさは減らないのです。幸福度は間違いなく増えますが、本稿は幸福度には触れないことにしましょう。

GDPが大きいと豊かだとは限らないが(初心者向け解説)

上記の通勤時間のように、「GDPが大きいほど豊かだ」とは言えない場合もあります。バブル期との比較を離れて、一般論として考えてみましょう。

南洋の楽園で果物をとって食べている国は、GDPがゼロです。食べ尽くしてしまったので、自分で耕して果物を栽培するようになると、GDPは増えますが、生活が豊かになったとは言えません。

主婦の労働はGDPに載りませんが、隣人同士の専業主婦が、お互いの家の家事を行なって対価を受け取れば、それはGDPに載ります。「家事代行サービスを雇って得た自由時間に介護の仕事をしている人と、介護サービスを利用して得た自由時間に家事代行サービスを行なっている人」を合計すると、GDPは増えているわけです。

まあ、この場合には、「分業のメリット」があるのでしょうから、生活が豊かになっていないと目くじらをたてる必要はないのでしょうが。

騒音公害を出す工場ができたので、近隣の民家が防音装置を購入したとすると、個人消費は増えますが、決して生活が豊かになったとは言えません。

このように、GDP統計というのは、チョット変なところもありますが、大きな目で眺めれば、「GDPが増えたのだから、生活は豊かになったのだろう」と考えて良いでしょう。

本稿は以上ですが、GDP等々についての基礎的な事柄については、最近の拙著『一番わかりやすい日本経済入門』をご参照ください。

なお、本稿は厳密性よりも理解しやすさを重視しているため、細部が事実と異なる可能性があります。ご了承ください。

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塚崎 公義